大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和32年(う)978号 判決

控訴人 被告人 森原春一 外四名および原審弁護人 諌山博 外一名

検察官 山根静寿

主文

被告人馬場卯三郎の控訴を棄却する。

原判決中被告人森原春一、同木下仙友、同上野盛雄、同渡辺実信関係の有罪部分を破棄する。

被告人森原春一を懲役一年に処する。

被告人木下仙友、同上野盛雄、同渡辺実信を各懲役八月に処する。

被告人木下仙友に対し、原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

但し右被告人四名に対し、本裁判確定の日から各三年間いずれも右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は、証人西村正信、同市原為四郎、同渡辺忠雄及び国選弁護人辻丸勇次、同諌山博に支給した分を除きその三分の一を、右被告人四名と馬場卯三郎の連帯負担とし、当審における訴訟費用は被告人五名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意書(弁護人諌山博の弁論要旨を含む)、弁護人青柳盛雄の控訴趣意書、弁護人清源敏孝の控訴趣意書、同弁護人の第二、第三控訴趣意書(以上各弁護人はいずれも被告人全員の弁護人)、被告人五名連名の控訴趣意書及び被告人渡辺実信の控訴趣意書記載の通りであるから、これを引用する。

弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第一点について。(論旨引用の弁護人諌山博の弁論要旨第一、第二については次に判断する。)

所論は、共栄企業組合は組合員の所得を免れしめる目的を以て設立されたものではなく、中小企業等協同組合法に則つて設立し、運営され、企業組合としての実質と組織を有し、組合員はすべて組合の事業に従事し個人事業を営んで来たものではないから、個人として事業所得税納入の義務はない。然るに、原判決が共栄企業組合員に右所得税納入の義務があるものとし、且つ被告人等が組合員と共謀して該所得税を免れた旨判示したのは、事実を誤認したか、若しくは所得税法第一条第二条法人税法第一条第二条の解釈を誤つた違法があると主張する。

よつて記録を精査するに、原判決挙示の各証拠によれば次の各事実が認められる。

昭和二四年六月一日法律第一八一号中小企業等協同組合法(本法は昭和三〇年八月二日法律第一二一号による改正により条文の体裁を一新したが、本件はその改正前の所為であるから、法条はすべて改正前のものによることとする。)は中小企業者の相互扶助の精神を基調としてその自主的な経済活動を促進し、且つその経済的地位の向上を図ることを目的として制定されたものなるところ(第一条)企業組合については、商業、工業、鉱業、運送業、サービス業その他の営利的事業を営み得るものとし(第七八条)組合員の資格についても定款で定める個人であれば足るものとして(第七条第四項)、企業組合の結成につき業種的、人的(但し発起人が四人以上なることを要する――第二四条)、地区的制限は設けていないのである。そこで、被告人森原春一、同木下仙友は横尾弥平太、貝島彦一、牧野渡等と共に各種営業者を打つて一丸とする綜合企業組合(実質の点は暫く措く)の結成を画策して、名称を共栄企業組合、主たる事務所を小倉市米町二八番地、目的を製粉、製麺、製菓、製米、醸造、農水産物加工、燃料、その他の加工及び製造、食料品一切、金物、履物、化粧品、石鹸、医薬品、衣料品一切、その他の販売、機械器具の製造及び修理、被服の仕立、補修その他の修理並びに右各事業に附帯する事業(その後運輸、写真、映画、美容、食堂等一切の自由職業とこれに附帯する事業を追加する。)とし、組合員を福岡県小倉地区の一四名、出資口数を一四口、一口の出資金五、〇〇〇円中第一回払込金を二、〇〇〇円合計二万八、〇〇〇円、代表理事、理事長を被告人森原春一、専務理事を被告人木下仙友とし、昭和二四年一二月九日福岡法務局小倉支局において設立登記を了し、次いで昭和二五年五月二〇日組合本部を福岡市下対馬小路一〇七番地に移転した。被告人上野盛雄は同年四月同組合事務員となり昭和二六年二月初頃組合に加入して同月二〇日頃組合理事に就任し、被告人渡辺実信は昭和二五年六月一日熊本地区における組合員となつて組合事務員を兼任し、同年一〇月頃より事実上理事の職務をとり昭和二六年二月理事に就任し、被告人馬場卯三郎は昭和二五年五月中旬延岡地区における組合員となり同年七月事実上の理事に就任したものなるところ、右被告人等は漸次組合の組織を拡大し、九州各県その他広汎なる地域に亘つて多数の組合員を獲得し、組織も幾変遷を重ねて昭和二七年四月一日にいたり福岡、熊本、宮崎、大分、佐賀、山口の各県及び東京都に各組合支部を設け、福岡県支部管下に小倉、福岡、京築、嘉飯、門司、若松、八幡、直鞍、久留米の各出張所を、熊本県支部管下に熊本(該出張所は昭和二五年六月熊本地区協議会の名称で発足)、鹿本、隈府、玉名、八代、水俣、本渡の各出張所を、宮崎県支部管下に延岡(該出張所は昭和二五年五月延岡地区協議会の名称で発足)、都城、宮崎の各出張所を、大分県支部管下に別府(該出張所は昭和二七年二月発足)、大分、竹田、日田、南部の各出張所を、佐賀県支部管下に鳥栖(該出張所は昭和二七年二月発足)佐賀、唐津、有田の各出張所を、山口県支部管下に下関(該出張所は昭和二六年末発足)、防府、宇部、山口、下松の各出張所を、東京都支部管下に中野(該出張所は昭和二七年三月発足)、大田の各出張所を置き、各組合員の従来の店舗をそのまま当該組合員の管理主宰する組合事業所として以上各出張所の下に多数の事業所を設け、昭和二七年一〇月頃における事業所総数は二四〇〇を超え、組合員総数は三〇〇〇名以上に達し、各事業所の営業種目も千差万別あらゆる種類を網羅して数十種に及び、企業組合としては組合員頒布地域の広大なると、事業所及び組合員の多数なると、営業種目の雑多なるとは他に比類を見ないものにして実に一大偉観を呈していたものである。

ところで、中小企業等協同組合法第三条第一項の組合は法人とする旨の規定と、第七八条の企業組合は商業、工業、鉱業、運送業、サービス業、その他の事業を行うものとする旨の規定に、第七九条第三項が組合員は総会の承認を得なければ自己又は第三者のために組合の事業の部類に属する取引をしてはならないと規定し、更に第八一条が組合員が組合の行う事業に従事したことによつて受ける所得のうち、組合が組合員以外の者で組合の行う事業に従事する者に対して支払う給料、賃金、費用弁償、賞与及び退職給与並びにこれらの性質を有する給与と同一の基準によつて受けるものは、所得税法の適用については、給与所得又は退職所得とすると規定している点を参酌すれば、企業組合においては従来の個人営業者が組合に加入するに際しては、各自の営業用資産と労働力、人格、個性をすべて組合に融合し没入して企業合同をなし、自らは営業主体たる地位を喪失して組合の一従業員と化し、法人である企業組合が唯一の営業主体としてすべての営業用資産を所有し且つ営業上の利益損失を享受するものでなければならないと謂わねばならない。

そこで、本件共栄企業組合についてこれを観るに、前叙の如き多数の各出張所管下において、組合加入に際し各営業者は関係官公署に廃業届を提出し、自己の営業用資産を棚卸して棚卸表を作り、債権債務も含めて貸借対照表を作成した上これを組合に提供し、組合は資産の買上証と買上代金の借用証を組合員に交付して、書類の形式においては組合員の営業用資産はすべて組合に買い上げられ、又帳簿や各種書類の記載においては各事業所の収益はすべて組合の収益として統一経理され、組合は各組合員に対し従業員として毎月所定の給料を支給し、別に各事業所に営業資金を交付し、更に資金の借入、返済についても組合自らその衝に当つている如く操作しているのである。かように、共栄企業組合はその外形と書類の形式のみによれば、各営業者は組合加入に際して自己の営業用資産を組合に譲渡し、自らは組合の一従業員として所定の給料を受け、資産と労力をすべて組合に没入し、組合のみが営業主体として全資産、全営業収益を一手に掌握し、かくて共栄企業組合はまさしく中小企業等協同組合法に準拠して適正に設立され運営されて来た外観を呈している。けれども、その実体を具さに解明して仔細に観察するときは、前叙各出張所管下の全事業所につき組合加入に際し、商品、什器その他営業用資産の売買において現実に代金の授受された事例は絶えて無く、寧ろ最後まで代金を授受しないことが予定の行動であつたのみならず、組合員の組合脱退に際してはそのまま右資産を当該組合員に売戻の形式を以て返還することが最初から予定されていて、組合及び組合員の双方共真実に営業資産を売買する意思なく仮装の売買にして、営業用資産は外形的の売渡手続に拘らず組合加入後も依然として組合員個人の所有に属し、又各事業所の収益は組合に統一経理されることなく、組合経費、源泉所得税相当額その他の経費を組合に納入した残額全部が給料、運転資金その他の名目を以て当該組合員の所得に帰属し、従つて営業収益が給料名目額を超える場合も亦これに満たない場合も、常に所定の控除額を差し引いた残額全部が組合員に還元されて別に組合より補填又は控除されることなく、畢竟事業所の営業収益はすべて当該組合員の所得となり、只所定の経費と税金相当額を組合に納入すれば足りるもので給料は実質を伴わない単なる名目に過ぎず、又営業に必要な資金も組合員が自己の信用と責任において銀行その他より借り入れて運用し、且つ売上金の中より返済していたが、書類の形式や手続の面だけ組合より借り受けてこれを組合に返済したかのような記載していたものにして、営業上のあらゆる利益損失は直ちに組合員自らの損益に帰し、各組合員は実質的には組合加入後も依然として個人営業を営んで来たものであることが明らかであるから、組合員は所得税法第一条第二条により個人としての営業収益に対し所得税を納入すべき義務があるのに拘らずこれを免れたものと謂わねばならない。かように、被告人等が設立しその運営を主宰して来た共栄企業組合は、企業組合としての実体を具備せず、組合員が加入前と同様に営業主体として自ら個人営業を営み営業上の損益を自ら享受して来たのに拘らず、恰も自己の資産と個性を組合に没入し個人営業を廃して企業合同を行い、組合の従業員となつて組合が営業主体であるかの如く敢て偽装し、因つて以て各組合員が少額の給与所得税を納入して多額の事業所得税を不法に免れた事実、しかも各組合員が右事業所得税を免れることが、組合創立当時以来の唯一の目的と謂い得ないにしても一目標として被告人等の企図したところであつて、さればこそ被告人等は組合加入の勧誘説明に際しては、組合に加入すれば多額の事業所得税を免れ少額の給与所得税を納むれば足る旨強調し、営業者も亦この点に強い魅力と共鳴を感じて組合に加入した事実、その他原判決挙示の各証拠を綜合すれば、共栄企業組合は組合員の事業所得税を免れしめる意図を以て被告人等により設立され運営されたものであつて、被告人等は各組合員と共謀して各組合員が本来納入すべき事業所得税を免れたものと断ぜざるを得ない。

記録を精査しても原判決に所論の如き事実誤認、所得税法、法人税法解釈の誤は存しない。論旨は理由がない。

弁護人諌山博の弁論要旨第一について。

所論は、被告人森原春一等が共栄企業組合を設立したのは、専ら弱小企業者を組織化して金融上の便宜、仕入販売の便宜、税金面の有利を獲得し以て独占資本の圧制に対抗するためであつて、毫も脱税の意図に出たものではないと主張する。

よつて記録を精査するに、原判決拳示の各証拠によれば次の各事実が認められる。

中小企業等協同組合法が施行された昭和二四年六月当時においては、弱小企業者は大資本の重圧に苦しみ、剰え課税当局の徴税に喘いでいたので、被告人森原春一等はかゝる資本重圧と徴税に対抗して弱小企業者の生活を擁護することを企図して、同法第一条の精神に則り組合員の相互扶助の精神を基盤とし、協同して事業を行い以て組合員の経済的地位の向上を図ることを標榜して(定款第一条)本件共栄企業組合を設立するに至つたことは否み難いが、更にまた課税当局に対する反税斗争を強力に推進することをその一目標として採用し、且つ組合員の個人事業所得税を免れしめんことを意図したものにして、組合加入の勧誘に際しては、事業所得税の免脱による税金の軽減を強調し、これが各種営業者の共感を得て多数の加入者を獲得するに至つたものである。かくて被告人等は共栄企業組合と称する有名無実の尨大な綜合企業組合を結成して、組合員には従来通り個人営業を行わせ事業所の収益をすべて組合員個人に帰属させ乍ら、外形上だけ組合が営業主体として事業を行い、組合員は組合の従業者として組合より所定の給料を受けるものの如く偽装したものであるが、かゝる機構を創意工夫し且つ運営した所以のものは、弱小企業者の経済的地位の向上を図るにあつたこともさることながら、被告人等が組合員をして僅少の給与所得税を納入させて、多額の個人事業所得税を不法に免れしめんとする意図を有していたことによるものと謂わねばならない。

そしてまた、組合員は自己の主宰する事業所に必要な営業資金については各自自己の信用と責任において銀行その他より借り入れ、且つ当該事務所の営業収益より自由に返済していたもので、共栄企業組合が自ら銀行その他の金融機関より資金の融通を受けてこれを組合員に融通した事例は存しない。(尤も、同組合が組合員の出資金を数回組合員の一部に融通したことはないではない。)更に共栄企業組合が主体となつて各事業所に必要とする原材料、機械、器具その他の物品を一括購入し、或は各事業所の製品その他の商品を一括販売したことも殆んど見受けられない。

原判決拳示の証拠中判示に副わない部分は原審の採用しなかつたものと解すべく、記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第二、一について。

所論は要するに、共栄企業組合における運営の実体を把握するには、組合設立当初より解散に至るまでの全期間を通じて、三〇〇〇に近い事業所中少くとも典型的の事業所全部につきその運営方法を検討する必要がある。しかも、三〇〇〇に近い事業所中一箇所でも組合の事業所として運営され営業上の損益を組合に帰属せしめる事業所が存在すれば、組合としては何等事業を行わず又すべての組合員が個人事業を営んでいたものとは謂われないと主張する。

共栄企業組合は形式的のものであつたにしても、一箇の組織体として各出張所管下の各事業所につき加入手続、資産処理、現金の管理流通、還元等が組織的に統一化され類型化されていた関係上、組合運営の実体を把握するには二四〇〇を超える事業所について漏れなく検討することを要するものではないが、組合設立当初より解散に至るまでの間における各出張所所属の相当の事業所についてその運営方法を検討する必要のあることは所論のとおりである。そして、原判決を閲するに原審は本件共栄企業組合につき福岡、熊本、宮崎、大分、佐賀、山口の各県支部及び東京都支部の各管下所属の各出張所につき、設立当時より解散に至るまでの間における多数の相当事業所についてその運営状況を組合員、組合役員、事務員その他の関係人の各証言、検察官調書、各種帳簿その他の書類等尨大なる各種証拠に基いて仔細に検討し彼此綜合した上、共栄企業組合が中小企業等協同組合法所定の企業組合の実体を備えないでこれを偽装し、組合は営業主体でなくして、組合員が加入前と同様に個人営業を営んで来たものであると断定したものにして、挙示の証拠によれば該認定はまことに正鵠を得たものと謂わねばならない。そして、原判決挙示の証拠によれば二四〇〇を超える多数の事業所中真に組合の事業所として運営され営業上の損益をすべて組合に帰属せしめ、組合員が組合の従業員として所定の給料を受けていた事業所は絶えて存しない。叙上認定に反する各証言、検察官調書は原審の措信しなかつたものと解すべきである。のみならず、二四〇〇を超える組合の事業所中仮に所論の如く僅か二、三の事業所か組合の事業所として運営され、営業上の損益を組合に帰属せしめる如き方法を講じていたとしても、元来本件共栄企業組合が組合員の所得税を免れしめる意図を以て企業組合の実体を具備しない仮装の組合として設立し、組織されたものにして、さればこそ全事業所とも謂うべき多数の事業所がすべて個人営業を営んで来た事実に鑑み、併せて中小企業等協同組合法の目的、趣旨に照らせば、かかる仮装の共栄企業組合は企業組合としての機能を発揮してその目的を達成するに由なく、従つて企業組合としては何等事業を行わずすべての組合員が個人事業を営んでいたものと断ぜざるを得ないものと謂うべきである。

記録を精査するも、原判決に所論の如き理由不備、論理法則違反、事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、二、三、七、八について。

所論は、組合員が共栄企業組合に加入するに際しては、自己所有の営業用資産を正確に棚卸して適正に評価した上、真実組合に売り渡したもので仮装の売買ではなく、少くとも原判決挙示の証拠によつては三〇〇〇に近い全事業所における加入当時の売買がすべて仮装行為であるとは認められないと主張する。

原判決挙示の証拠によれば、個人営業者が本件共栄企業組合に加入するに際しては、その営業用資産すなわち商品、什器、備品、機械器具類につき自己単独で或は組合役員や事務員立合の上棚卸(品目、数量、価格を明確にすること)して棚卸表を作成し、これに従来の売掛金、買掛金を含め貸借対照表を作成した上これ等の書類を組合に提出し、更に関係官公署に廃業届を差し出し、組合は右加入者に対し代金を支払わないで資産の買上証と代金の借用証を交付し、以て組合と加入者との間における営業用資産の売買手続を済ましていた事実が認められるから、かかる手続をその外形と書類の記載のみより観察すれば、右資産の売買が真実行われたものと謂い得る如くに見ゆるのである。けれども、右売買の実体を仔細に検討するに、挙示の各証拠によれば、資産の棚卸は加入者が単独で恣意的にこれをなして棚卸表を作成して組合に提出し、組合は加入者がなした右棚卸、殊に資産評価に対しては異議や意見を述べることなくそのまま容認し、又棚卸に際し組合役員や事務員が立ち会つた場合加入者のなす資産評価について意見を述べたこともないではないが、多くは加入者の評価を黙認する状態にして、畢竟営業資産の評価換言すれば営業資産の売買代金額については加入者も組合側も深い関心を有せず、概ね売渡人たる加入者が一方的、恣意的に決定して買受人たる組合はこれをそのまま容認する実情であつた事実、営業用資産の売買代金は三〇〇〇名を超える組合員全員について加入当時には支払われずして只資産買受証と代金借用証が交付され、しかも右代金は外形上は後日組合に資金を生じた暁において支払われることになつていたが、昭和二四年一二月の組合創立以来昭和二七年一〇月当時に至るまで右組合員全員についてその支払がなされた例が絶無であつた事実、元来本件組合は組合自ら営業するものではなくして組合員個人に営業を営ませるという偽装組合たる本質より、資産買受代金に充つべき資金を生じ得ない組織と機構になつていたもので、右代金が結局において支払われないものとなることは当初より組合及び組合員双方がこれを諒承し予定していた事実、さればこそ加入の際における資産の評価すなわち売買代金額の決定につき、組合も加入者も共に関心を抱かず概ね加入者の一方的、恣意的判断に委ねられていた事実、組合員の脱退は自由であり定款一三条の組合員が脱退したときはその持分の金額を払い戻す旨の規定に拘らず、組合員が加入当時売り渡したことになつている営業用資産は、組合員脱退の際すべてそのまま買戻の形式を以て組合員に返還することが加入当時約束されていた事実をそれぞれ認め得べく、これ等の各事実と被告人森原、同木下を始め被告人上野、同渡辺、同馬場並びにその他の組合役職員が組合加入の勧誘説明において、営業用資産の売買は単に書類上の形式を整えるだけであつて本当に組合が買い取るものではない旨言明し、各加入者も亦営業資産は書類の形式だけ組合に売つた形にしたもので本当に売り渡す考はなかつた旨述べている多数の証言と検察官調書その他の各種証拠を彼此綜合すれば、組合加入に際してとられた営業用資産の売買については組合員及び組合双方共に真実売買する意思はなく、単に書類の外形のみ売買の形式を整えた仮装行為に過ぎなかつたものと断ぜざるを得ない。

そしてまた、厚判決挙示の各証拠によれば、前叙の如き資産の売買に関してとられた外形的手続、その実体に関する各種の事実、被告人等の説明及び各組合員の真意に関しては昭和二四年一二月の組合創立当初より昭和二七年一〇月頃までの間に亘る福岡、熊本、宮崎、大分、佐賀、山口の各県と東京都の各組合支部管下の各出張所所属の各組合員につき時と場所の相違により多少の差異(殊に資産の買上証と代金の借用証の交付を受けない者及び廃業届を提出しない者が相当ある)はあるにしても、その本質的、基本的部分についての相違はない事実が認められ、畢竟各支部管下における各出張所所属の各組合員と共栄企業組合との間に行われた営業用資産の売買はすべて実質を伴わない仮装行為であつたものと謂わねばならない。

次に所論は、原判決挙示の証言及び検察官調書中の加入者と組合との間における営業用資産の売買が仮装行為であるという供述は、売買当時より数年経過後なされたものであるのみならず、供述の如何によつては自己の刑事責任を追述される不安な立場でなされたものであるから信憑力に乏しく、しかも該供述のみを以て仮装売買と断定するのは誤であると主張する。

なるほど、人の記憶が時の経過と共に薄れる傾向があり、又一般に自己の刑事責任の減免を得るため自己に有利な供述をしようとする傾向のあることは否み難いところであるが、それだからといつて数年経過後の供述或は被疑者としての供述なる一事を捉えて直ちに該供述が措信し得ないものと断ずるのは、却つて経験則に反し早計に過ぎるもので到底首肯し得ないところである。原判決は他の多数の各種証拠と比較対照して右各証言、供述調書の内容を仔細に検討した上措信するに足るものとし、これを採つて以て仮装売買認定の証拠に供したものにして、記録を精査すれば原判決の右措置はまことに相当である。又原判決が仮装売買と認定したのは右証言と供述調書のみに依拠したものではなく、他の各種証拠とこれによつて認められる前叙の如き各事実を彼此綜合した結果なることは判文上これを窺うに十分である。

更に所論は、営業用資産の売買代金は組合発足当初のこととて組合に資金が無かつた関係上後日決済することにして支払われなかつたものであるから、代金の不払を以て仮装売買となすのは当らないと主張する。

なるほど、売買代金未払の一事を以てその売買を仮装行為と断じ得ないことはまことに所論のとおりである。けれども、原判決挙示の証拠によれば本件における営業用資産の売買代金は後日決済するという名目になつていたものの、真実は組合の機構が決済資金を生じ得ない仕組になつており、三〇〇〇を超える多数の売買がすべて結局代金支払のないことが最初から予定されていたものであり、さればこそ組合設立後三年目になつても未だ一として代金支払のなされた事例のない事実が認められる。かかる事実は仮装売買認定の有力なる一資料たり得るものと謂わねばならない。

挙示の証拠中判示に副わない部分は原審の採用しなかつたものと解すべく、記録を精査するも原判決に所論の如き採証の誤、事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、四について。

所論は、組合員が加入の際共栄企業組合に売り渡した商品は個人財産としてではなく、名実共に組合財産として管理され処理されて来たものにして、このことは加入当時の商品売買が仮装行為でなかつたことを証明するものであると主張する。

けれども、原判決挙示の各証拠によれば各営業者は資産売買の形式的手続を了して組合員となつた後においても、当該店舗すなわち事業所において依然として従来の営業を主宰し営業用資産も自ら管理し来つてその外形的態様に変化がなく、しかも加入に際し組合役員、事務員から資産は本当に組合が買い上げるのではなくして書類の上だけ買上の形式を採るに過ぎない旨説明され、自らも亦かように信じていた関係から、組合員は加入当時組合に売渡の形式を採つた商品については組合財産としてではなく依然として自己所有の個人財産であるとの信念の下に自由に管理処分し、従つて商品売上代金も結局自己個人の収益として費消し、又営業用自転車等が盗難に罹れば個人の損害に帰していた事実が認められる。

又所論は、商品につけられていた損害保険の保険料は組合財産の維持費として事業所運営の必要経費に計上され、組合員が個人債務のため事業所の組合財産を差押さえらるれば組合より第三者異議の訴を提起していると主張する。

けれども、挙示の証拠によれば右保険料は帳簿の記載如何に拘らず、当該事業所の売上金から自由に支払われていることが認められ、又仮装売買がなされて該物件が差押えられた場合、仮装の買主より第三者異議の訴を起すことは往々見受けられる事例であるから、所論の各事実は必ずしも商品が組合財産として管理された事実の適確な証左となるものではない。

原判決挙示の証拠中叙上認定に反する部分はたやすく措信し難く、記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、五について。

所論は、営業者が共栄企業組合に加入する際組合に引き継いだ債権債務は組合帳簿に記帳され、その後債権の弁済受領、債務の支払がなされたものについてはその都度組合の収入、支出として取り扱われ、確実に組合の債権債務として処理されていると主張する。

原判決挙示の証拠によれば、営業者が共栄企業組合に加入するに際しては、当時有していた債権債務を他の営業用資産と共に貸借対照表に掲記して組合に提出し、或は更に組合名義の帳簿に記入して組合に対する債権債務引継の手続を採つているけれども、右引継においては債権譲渡、債務引受における通知、承諾が完全になされていないのみならず、帳簿上の名義はとにかく、事実上においては債権が弁済された場合の受入金はそのまま当該事業所の収益として処理せられ、債務支払の場合には当該事業所の収益金から自由に支出され、しかも右収入支出の結果は組合自体の収支には何等影響なくして当該事業所内だけの操作にとどまり、結局はこれを主宰する組合員個人の損益に帰属していた事実が認められるから、該事実に、さきに認定したように各営業者が組合に加入する際組合との間になした営業用資産の売買が外形だけの仮装行為である事実を参酌すれば、債権債務の組合への引継も書類上の形式にとどまり実質を伴わない仮装行為と謂わねばならない。

原判決挙示の証拠中判示に副わない部分は原審の採用しなかつたものと解すべく、記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、六について。

所論は、営業者が共栄企業組合に加入する際にはその店舗を正式に組合に賃貸して約定の賃料の支払を受けていると主張する。

原判決挙示の証拠によれば、組合員が組合加入後事業所として使用している店舗については、加入の際組合との間に賃貸借契約又は転貸借契約締結の形式的手続を踏んだ上備付の帳簿に所定の賃料受取を明記している者もあるが、かゝる契約を結ばず賃料も受け取らないでしかもこれを異としない者が極めて多数あるのみならず、賃料支払の形式が採られている場合においても、只組合員が自ら該事業所の収益金より適宜これを控除し帳簿上の経費欄に記載していたものにして、現実に組合と組合員との間に賃料が授受されたものではなく、又該家賃支払の手続が採られたからといつて当該組合員の実質的収益には結局何等の影響を及ぼさなかつた事実が認められ、該事実にさきに説明した営業用資産の売買、債権債務の引継が仮装行為である事実その他原判決挙示の各証拠を綜合すれば、店舗の賃貸借、賃料の受払も亦実質を伴わない単なる外形的の仮装行為であつたものと謂わねばならない。

原判決挙示の証拠中判示に副わない部分は原審の措信しなかつたものと解すべく、記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、九について。

所論は要するに、共栄企業組合においては原則として各事業所の収益をすべて定期的に組合事務所に集中して組合の統一経理に組み入れた上、これを各事業所の運営資金や組合員の給料支払に充つる方法を採つて来た。各事業所主宰者の管理に属する現金は組合資金として管理、出納され、帳簿上も明確にされて組合本部に正確に把握されていたのである。かくて業事所の収益が当該事業所所属組合員の給料額に達しないときは、他の事業所の収益の一部を以て不足分を補填したのである。ところが組合全体の営業収益を増加するには各事業所にその収益の多寡に応じて資金を配付することが得策と考えられる関係上、収益が組合員の給料額を超えるときには該超過額全部を当該事業所の運転資金として還元したところもあるが、如何なる場合においても各事業所の収益は組合の収益として組合一本に統一管理され、各事業所は組合資金によつて組合事業を運営したものであり、各事業所における営業上の利益損失は直ちに組合自体の損益に帰属していたのである。尤もある事業所においては収益の多い事業所より少い事業所の組合員の給料に書類上だけ回したような形式を採つたところもあるが、これは極めて少数の事業所において被告人等の意思に反し被告人等不知の間に行われたものであると主張する。

よつて記録を精査するに、原判決挙示の証拠によれば次の各事実が認められる。

共栄企業組合福岡県支部所属の小倉出張所管内においては、昭和二四年一二月の創立以来昭和二五年九月頃までの間、各組合員(当該事業所に数名の組合員がある時はその責任者――尤もかかる数名の組合員は殆んど夫婦、親子、兄弟等の同居の近親家族よりなつている)は自己の事業所より生ずる売上金を終始自ら保管して、毎月所定の積立金と自己の給料(数名の組合員がある時は数名の給料)に対する源泉所得税相当額を組合事務所に納めるだけで組合から特に給料として支払を受けることなく、只右納入の残額をそのまますべて給料と事業所の運転資金として自ら充当運用し、或は適宜給料の前払、仮払の名義を以て必要の都度使用し、又右残額が給料所定額に充たない場合においても組合より特に補填されることなく不足のまま給料として使用し乍ら、組合事務所からは所定額の給料の支払を受けた旨の給料支払明細書等を受け取り、且つ事業所備付の日報には常に毎月所定額の給料の受払がなされた旨記載されていたのである。従つて、各組合員は帳簿その他の書類の記載によれば毎月必ず所定額の給料の支払を受けたものとなつているけれども、実際においては当該事業所における売上高が少く、これより積立金、税金相当額を納めた残額が給料額に達しない場合には、所定の給料すら残らず少い金額の給料を以て甘んじなければならないが、これに反して当該事業所における売上高が多くて積立金、税金相当額を納めた残額が給料額を超過する場合には、その超過部分が如何に多額であつてもそのまま全部当該事業所に運転資金等の名目を以て還元され、しかも組合員は右給料と運転資金等を截然区別しないで生活費と営業費に流用して使用していたのである。

ところが、国税庁は昭和二五年一〇月二四日附を以ていわゆる九原則なる通達を出し、これに該当する各種企業組合の組合員に対しては個人事業所得者として課税する方針を明らかにしたので、共栄企業組合においてもこれに対応していわゆる現金プールなる方法を採用するに至り、同月以降各組合員(当該事業所に数名の組合員がある時はその責任者)は売上金より適宜給料の前払の名義を以て差引使用することもあつたが、毎月一回定期に前月分の日報上の売上残高を組合事務所に提出し、その中より所定の積立金(運営費)、その他の経費(日報代、新聞代等)及び源泉所得税相当額を差し引かれた上、その残額全部を現金又は小切手を以て自己の給料(組合員数名の時は数名の給料)として、給料額を超える分は運転資金、更に余剰ある時は無名目の金として受け取り、これを截然区別しないで生活費と営業費に流用して使用し、又右残額が給料所定額に充たない場合においても、組合より特に補填されることなく不足のままの金額を給料として返還を受け、或は一応所定の給料相当額の小切手を受け取つた上現金化して直ちに右売上残額に超過する額を組合事務所に返還していたが、無名目金以外の他の右各種目の金額、特に毎月所定額の給料の受払がなされた旨は組合事務所や事業所備付の帳簿(支払勘定補助簿、日報)に明記され、更に毎月所定の給料を支払つた旨の給料支払明細書が組合員に交付され、右無名目金は組合帳簿の記載や小切手の操作により売上高が所定の給料額に達しない他の組合員に配付された手続形式を採り乍ら、実際はこれと異り当該組合員に返還されていたのである。かようにして、各組合員は組合事務所及び事業所備付の各種帳簿その他の書類の記載と小切手の操作においては、売上の多い組合員の収益の一部を売上の少い組合員に配付する方法により売上高の多寡に拘らず毎月必ず所定の給料の支払を受けたようになつているが、実際上は組合員提出の売上残高が所定の給料額に充たない場合においては、組合より何等補填されずに不足する金額をそのまま給料として受け取るが、右売上残高が積立金、源泉所得税相当額、経費(日報代、新聞代)及び給料額を超過する場合においては、その超過額が如何に多額であつても給料以外の運転資金更に無名目の金として返還を受けた上、これ等を截然区別しないで生活費と営業費に流用して使用していたのである。

そしてまた、前叙の如き組合事務所と各事業所間における売上金の管理、流通、還元に関しては福岡、熊本、宮崎、大分、佐賀、山口の各県及び東京都の各組合支部管下三七の各出張所所属の事務所並に各事業所においては、備付の帳簿の種類、名称、記載様式、書類の取扱、小切手の操作、現金の移動還元の方法等につき時と場所の相違による多少の差異はあるけれども(該差異は次に掲記する)、何れも書類の記載と外形的手続において各事業所の売上金を組合に統合し、組合員には少くとも毎月所定の給料を支払つていたことを仮装するものにして、その実体が結局において各事業所の売上高より所定の積立金、経費或は源泉所得税相当額を控除した残額全部を、たとえそれが所定の給料額を超過する場合でも組合において超過分を収益として留保せず、又不足する場合でも組合より補填することなく、常にそのまま給料、運転資金等の名目を以て各組合員に還元していたことは小倉出張所管内におけると同様にすべての各出張所各事業所において採られた一貫した方針であり不動の事実であつたものと謂わねばならない。

因みに前記差異の点は次のとおりである。

現金プール実施前において福岡、延岡の各出張所は給料支払明細書は使用せず、都城出張所はこれを事務所に保管した。熊本、八代、延岡の各出張所は日報の外給料支払表(簿)に所定額の給料の受払を記載した。八代、都城、水俣、本渡の各出張所は源泉所得税相当額を組合員より徴収せず、延岡出張所は別に日報代等の経費を徴収した。現金プール実施後においては福岡、熊本、都城、八代、鹿本、隈府、延岡等の各出張所は支部勘定補助簿の代りに現金プール表を採用し、福岡、熊本、八代の各出張所では別に給与支払表(簿)、小切手控帳を使用した。鹿本、隈府の各出張所では源泉所得税相当額を徴収しなかつた。本渡出張所では熊本相互銀行普通預金支払請求書用紙に所定の給料、運転資金等の額を記入してこれを組合員に交付し銀行より現金を引き出させた上、若し当該組合員の売上高が給料額に不足する時はその分を組合に返還させた。延岡出張所では昭和二六年一一月頃迄、都城出張所では同年三月頃迄いずれも数字だけの現金プールを行い、帳簿に事務所への送金額を記載するだけであつた。又現金プール実施後発足した玉名、下関、防府、大分、別府、竹田、南部、田川、門司、八幡、若松、直鞍、久留米、鳥栖佐賀、唐津、有田、宮崎、中野、大田等の各出張所については現金プール実施前の売上金処理の態様がないのは勿論であるが、田川出張所では別に給料台帳、小切手控帳を使用して組合員に給料支払明細書を交付し、玉名出張所では別に現金プール出納明細日計表を使用した。鳥栖出張所では源泉所得税相当額を徴収せず、昭和二七年七月以降は一部の者を除き毎日現金プールを行い各組合員は毎朝前日の売上高を事務所に提出してこれを事務所に保管したが(尤も現金は事務所が佐賀中央銀行鳥栖支店に預金した)、組合員は右提出金額の限度内において積立金、給料、運転資金に当てるため自由に引き出して使用することができ、稀には提出金額の限度を超えて引出が許されたが、この場合には超過分は当該組合員の債務として後日必ず返還しなければならなかつた。下関、防府の各出張所は源泉所得税相当額を徴収せず、又組合員中には現金を事務所に提出しないで運営費と日報代だけを事務所に支払う者が相当あつた。中野、大田の各出張所では現金プールをしない者が相当あつた。

かくて、共栄企業組合は現金プール実施の前後を通じ一貫して組合加入の際第一回払込出資金二〇〇〇円と加入金五〇〇円を受け取る以外には、毎月各組合員からその事業所の売上金中より所定の積立金、経費(日報代、新聞代)、源泉所得税相当額を取り立てるだけであつて、その残額が如何に多額であつてもこれを当該事業所に給料、運転資金更には無名目金として還元し別に組合の収益として一銭も留保することなく、又売上高の少い事業所には組合より別に補填しないで給料にも充たない額をそのまま返戻した上、いずれの場合にも組合員の生活費と営業費に自由に使用せしめ、自らは各事業所に営業資金を放出融通することなく(尤も組合員の出資金の一部を数回組合員に貸し付けたことはあるが)、否その機構と運営の本質から必然的に放出すべき営業収益による資金を保有せず、組合と各事業所間、事業所と事業所間には営業資金の交流は全く行われず、各事業所の売上金はすべて当該事業所内においてのみ使用されて、他の事業所には流出されることなく、組合員の給料は実質を伴わない単なる名目に過ぎずして各組合員は給料名目額の如何に拘りなく、自己が運営管理する当該事業所より生ずる売上高より、所定の積立金又は経費と源泉所得税相当額を組合に納めた残額を以て生活し且つ事業を営んで来たものにして、従つて各事業所における営業上の利益損失は直ちに組合員個人の損益に帰し、組合自体には何等影響を及ぼすものではなかつたのである。

かようにしてまた、組合員保管の売上金は現金プール実施以前においては終始移動することなくそのままの状態において、現金プール実施以後においては一応組合に提出された上更に組合員に返還される手続を経るだけで、いずれの場合においても所定の税金相当額、積立金、経費を組合に納めた残額がすべて計画的に常にそのまま給料、運転資金等の名目を以て当該組合員に還元されて自由処分に委ねられていたものであるから、畢竟各事業所の売上金はその外形的手続、帳簿その他の書類上の記載形式、名義の如何に拘らず、実質的には組合資金としてではなく組合員個人の資金として各組合員に管理され処分されて来たものと謂わねばならない。更に現金プール実施以前においては現金移動の外形においても帳簿の記載においても、各事業所の売上金が組合の統一経理に組み入れられ組合資金として管理された事実は形式的にも見受けられないが、現金プール実施以後においては売上金は一応組合に提出され且つ組合帳簿その他に記載された上、給料、運転資金名義を以て組合員に還元された形式が採られているから、その外形のみを観察すれば所論の如く組合の統一経理に組み入れられ組合の資金として管理出納されたものの如くであるが、それは単なる外観に過ぎずして現金の管理、流通、還元の実体がこれと全く異ることは前叙の通りである。

しかも、叙上の如く各事業所の売上金が所定の控除額を差し引かれた上すべて必ず当該事業所に還元される実体と、右売上金が組合に統一経理され各組合員には毎月必ず所定の給料を支払つていたことを仮装するための各種書類の記載、小切手の操作、その他の外形的手続の大綱は、組合の指導的地位に在つた各被告人がこれを企図し諒承していたものである。

又所論は、現金プールの方法は共栄企業組合が各事業所における収益金の統一経理を仮装する手段としてではなく、その統一経理を一層確実に実施するため採用したものであると主張する。

けれども、原判決支示の各証拠によれば次の各事実が認められる。被告人等は本件共栄企業組合を中小企業等協同組合法所定の実体を具備した企業組合すなわち各組合員の従来の営業を実質的に合同した企業組合としてではなく、組合員の事業所得税を免れしめる意図を以て企業組合を仮装して設立し運営して来たものであるところ、右組合法施行後成立した各種の企業組合の中には組合員が実質的には従来通り個人営業を続け乍ら、企業組合の仮面を被つて不法に個人事業に対する課税を免れる者が多数簇出したため、国税庁はこれが対策を考慮した末昭和二五年七、八月頃よりその防止策としていわゆる九原則なるものを考案し、同年八月末の全国直税部長会議においてその案を検討した上、同年一〇月二四日附を以て全国国税局長宛正式に通達を発し、九原則に該当する企業組合の組合員に対しては個人事業所得者として課税する方針を明らかにしたのである。そこで、被告人森原春一、同木下仙友、同上野盛雄等は課税当局の右企図を察知し、従来の如き組合の運営を以てすれば必ずや実質的には個人事業を継続している共栄企業組合の各組合員が右九原則によつて個人事業所得者として一斉に課税されることを虞れたが、さりとて実質的企業合同に切り替え組合を営業主体とする統一経理を実施することは、従来のゆきがかりと組合の尨大なる組織と機構の点から到底おぼつかないことを諒知していたので、右九原則の適用を免れ組合員に対する個人課税を回避すべき窮余の弥縫策として、共栄企業組合が組合員の企業合同を完了し資金の統一経理を実施している如く仮装するためいわゆる現金プールなる方法を案出し、各組合員をして各事業所の売上金を毎月一回組合事務所に提出させた上、各種帳簿やその他の書類の形式と小切手の操作によつて、組合が右各売上金を組合の営業収益として統一経理し、これより毎月各組合員に対し一率に所定額の給料を支払い、又事業所に運転資金等を支給している如き外形を整え乍ら、その実体は依然として売上金より積立金、経費、税金相当額を控除した残額をすべて給料、運転資金等の名義を以て当該組合員に還元する方法を採用し、昭和二五年一〇月頃より各出張所所属の各事業所につきこれを実施するに至つたものである。

原判決支示の証拠中判示に副わない部分は原審の採用しなかつたものと解すべく、記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、一〇について。

所論は、共栄企業組合においてはそれが企業組合である本質上、各組合員の従来の経験、手腕、顧客関係等を生かして事業所責任者の自主性を尊重することが、組合幹部の指示統制による運営よりも組合全体の発展を期待し得る所以であるから、なるべく強力な指示統制を避けたのであるけれども、さればといつて全く放任していたわけではなく、必要に応じて各事業所の運営につき指示統制を与えたものである。のみならず、元来企業組合の組合員に対する指示統制の強弱は組合の法人性の有無とは直接関係のないものであると主張する。

なるほど、企業組合は多数の中小企業者が従来の個人営業を組合一本に統合し企業合同をした上、自らは組合の従業員として営業を続けて行くものであるから、場合によつては各組合員の従来の経験、手腕、顧客関係等を生かし、その自主性を尊重して事業を運営する必要あることは否み難いところである。けれども、企業組合は従来の多数の独立営業者を組合員としてその事業経営に当らしめる関係上、恣意的、個別的運営に慣れた各組合員が企業組合の理念と本旨を解し得ずして組合全体の目的、利益に背馳する経営に陥ることなきを保し難いから、企業組合の目的達成とその発展を期するためには、組合指導者は所属各組合員の事業運営に対し各種の指示統制を与える必要のあることは当然と謂うべく、まして本件共栄企業組合の如く二千数百の多種多様の事業所を擁する大規模の綜合企業組合においてはなおさらのことである。ところが原判決挙示の証拠によれば、被告人等組合幹部は現金プールの実施、帳簿の記載方法、監査等営業の外観的形式の面において指示を与えたことはあつたが、事業運営の実質については二千数百の事業所に対し殆んど指示統制を与えることなく、各組合員の恣意的、個別的運営に放任していた事実が認められる。尤も、元来企業組合の各組合員に対する指示統制の有無、強弱如何は、単に組合幹部の組合運営方法の適否巧拙に関するものにして、企業組合の本質的実体や企業組合の法人性の有無に直接関係のないものであることはまことに所論のとおりであつて、原判決のこの点に関する判断も亦これと同趣旨なることが窺われる。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、一一について。

所論は、個人営業者が共栄企業組合加入以後において従来の個人名義の免、許可名義、電話加入権名義、車両登録名義をそのまま使用して組合名義に変更しない者も多少あつたが、これはのれんや取引慣行等の関係から営業上便宜であり有利であつたためである。けれども、かかる営業方法はすべての名義を組合名義に切り替えるという共栄企業組合の根本方針に違背するものであつたのみならず、元来これ等の名義変更の有無は企業組合の法人性に本質的な関係を有するものではないと主張する。

原判決挙示の証拠によれば、従来個人営業を営んで来たものが本件共栄企業組合に加入して組合員となつた後、薬品販売、たばこ販売、酒類販売、古物商、美容、旅館等各種の免、許可名義や電話加入権名義及び自動車、自転車、リヤカー等の車両登録名義を個名人義のまま使用して組合名義に変更しない者が殆んど大部分を占めており、しかもその原因が従来ののれんや取引慣行による便益に依る場合もないではないが、多くは組合加入の際における組合に対する営業用資産の譲渡が書類上の形式だけで真実は自己個人のものであり、組合員となつても従来通り個人営業を続けるものであるという念慮に因るものなることが窺われ、又被告人等共栄企業組合の幹部が前叙各種名義の組合名義への変更を根本方針として堅持しこれを傘下の各組合員に指示伝達した事実は認められない。尤も挙示の証拠によれば、組合が営業上の取引につき共栄企業組合の名義を使用するよう各組合員に指示していたことは認められないことはないが、加入後も個人営業者であるという考からか、依然として個人名義を以て取引を続けた組合員が極めて多数を占めていた事実が認められる。そしてまた、企業組合の組合員が各種免許可名義、電話加入名義、車両登録名義を組合名義に変更したか否は、単に手続形式の問題であつて、必ずしも企業組合の法人性の有無に直接関係のないものなることは所論のとおりにして、原判決のこの点に関する判断も亦これと同趣旨なることが窺われる。けれども、右名義変更の有無は少くとも組合員の組合に対する営業用資産譲渡の真否を判断し推測する関接の一資料たり得ないものでないことは否み難いところである。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、一二について。

所論は、共栄企業組合においては組合員が脱退する際個人営業の継続を希望したため、組合加入当時組合に売り渡した営業用資産を厳密に棚卸した上、脱退組合員に売り戻しの手続を採り、その売戻代金と未払のままになつていた営業用資産買受代金とを相殺して清算したが、多くは双方の代金が対等額であつたのでそのまま清算済となり、売戻代金が多額な場合においても共栄企業組合が弱小企業者の相互扶助を基調としている関係上、直ちにその差額を取り立てるに忍びず、支払資力ができるまで取立を猶予してこれを帳簿上明確にしていたのである。又組合員が手許に管理していた売上現金についても脱退の際必ず清算の対象に入れて処理している。尤も、組合に対し当局の一斉弾圧が開始された後においては、これを契機として脱退する組合員が一時に殺到したためと処理に必要な組合帳簿が押収されたため、正規の清算手続は已むなく不能に帰したものであると主張する。

原判決挙示の証拠によれば次の各事実が認められる。

元来企業組合の組合員は多くは組合加入後においても従来自己が主宰し管理して来た店舗を事業所として営業に従事するものであるから、個人営業に切り替えて収支相償う見込がある限り、組合脱退後もなお個人営業の継続を欲して営業用資産の買戻を希望することは企業経営の便宜と人情の然らしめるところにして、組合との間に右資産の再売買が行われることは首肯するに足るものである。そして、本件共栄企業組合においても、二千数百名の組合員はいずれも組合を脱退するに際して、脱退当時自己の管理に属していた当該事業所の営業用資産を組合に返還することなく、すべてこれを自己の所有として脱退後も自らその管理支配を続けていたものである。ところが、共栄企業組合はこれ等の組合員が脱退する際、その管理に属する商品、什器、備品等の営業用資産につき棚卸は勿論のこと売戻や清算等の形式的手続すら講ずることなく、そのまま当該組合員の所有に帰せしめ組合との清算関係が一切消滅終了したものとして取り扱い、或は脱退の際組合員をしてこれ等の営業用資産につき棚卸して棚卸表又は貸借対照表を作成提出せしめた上、売戻の形式を以てこれを組合員の所有に帰せしめ、加入当時の資産買受未払代金と売戻代金を相殺した形式を採つて清算しているが、加入当時の資産の棚卸が杜撰であつたと同様に脱退時の資産の棚卸も亦極めて杜撰であり、従つて加入当時に比較して脱退当時の営業用資産に増加減少が生じていても、殆んどこれを顧慮することなくすべて双方対当額にあるものとして相殺し、脱退による清算手続が一切終了したものとして取り扱つており、稀に差額を認めることがあつても後日現金を以て本清算を遂げる形式を採り乍らそのままに放置して顧みない実情である。かようにして、共栄企業組合は組合員の脱退に際し何等の形式を踏まない場合は勿論、書類の記載その他外形的手続においては営業用資産について正規の清算手続を済ましている如く見える場合においても、実質的には何等清算を行わないで脱退組合員の管理に属する営業用資産をすべてそのまま無条件で当該組合員に返還しているものである。

元来共栄企業組合においては個人営業者を組合に加入させる際、商品、什器、備品等の営業用資産につき棚卸して棚卸表、貸借対照表を作成せしめた上、資産買上証とその代金支払に代わる代金借用証を作成交付して営業用資産買上の形式を採つているけれども、組合は真実これを買い上げる意思はなくして只買上を仮装したものであり、従つて当時すべての加入者に対し売買代金の支払をなすことなく寧ろいつになつても代金の支払をしないことを最初から予定し、組合員も亦すべてこれを諒承して加入したものであり、さればこそ加入の際の営業用資産の棚卸し、換言すれば資産の売買代金額の決定は組合員の一方的、恣意的判断に委ねられて杜撰を極め乍ら、しかも敢てこれを意に介することなく、更に又組合と各組合員との間において営業用資産はすべて買受代金を授受しない代りに組合員脱退の際にはそのまま売戻の形式を以て当該組合員に無条件で返還することが、加入当時既に約束され諒解されていたものである。組合加入当時において組合と組合員間にかような経緯と諒解事項があつたからこそ、亦前叙の如く組合は組合員の脱退に際し組合員管理に属する営業用資産を売買手続、相殺手続、清算手続等の外観的形式を藉り、或はかかる形式すら整えることなく、すべての場合に実質的清算を了しないでそのままそつくり当該組合員の所有に帰せしめて能事終れりとなし、組合も組合員もこれを当然のこととして敢て怪しまなかつたものである。加入当時の資産と脱退当時の資産とが概ね一致したので対当額において相殺し現金授受の必要はなかつたというも、はたまた脱退当時の資産が加入当時のそれに比して増加していたので、相殺した上組合において債権を有するにいたつたが、直ちに取り立てるに忍びず一時これを猶予したというも、いずれも畢竟脱退当時の営業用資産を全部そのまま脱退組合員に返還した事実の裏書に対する扮飾弁解に過ぎないものと断ぜざるを得ない。なおまた、組合員が脱退当時保管していた売上現金を清算の対象に繰り入れ処理した形跡も存しない。

尤も、昭和二七年一一月組合に対する国税局の一斉手入に引き続き検察庁の捜査が開始され、これを契機として組合員の脱退が一時に増加し更に帳簿類が押収されたことは否み難いところであるが、元来共栄企業組合はその以前の脱退者に対して正規の清算手続を講ずることなくして営業用資産をそのまま無条件で組合員に返還しており、否寧ろ清算手続をしないで脱退者に営業用資産を返還することを最初より予定して形式的な資産買上をしたものなることはさきに説明した通りである。所論は、一斉捜査に籍口して無精算の事実を糊塗せんとするものと謂わねばならない。又一斉手入後続出した多数の脱退者中極めて僅少なる一部の者につき、営業用資産に対する売買代金の清算と称して現金が授受された事例が認められないことはないが、これは真実の清算手続として行われたものではなく清算に名を藉りて従来多く行われた資産の無条件返還を隠蔽せんがために講ぜられたものと認めざるを得ない。

記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第一、一三(イ)について。

所論は、検察官が供述を録取した組合員の多くは逮捕勾留され或はいつ逮捕されるか判らない不安の中で取り調べられているのみならず、逮捕された被疑事件の内容は共栄企業組合なる法人の財産を隠し所得によつて横領したというのであるから、自己の刑事責任を免れんとする組合員が組合の財産を自己の用途に費消しても横領にならないものとするために、共栄企業組合が仮装法人であり組合加入も形式だけで実際は個人営業を営んでいたものであると供述するのは人情の自然にして、検察官はこの人情の機微に乗じ専ら共栄企業組合の仮装法人性断定の証拠固めの方便として、かかる嫌疑により組合員を逮捕勾留した上誘導尋問したものであり、しかも検察官は組合加入の動機、所有権移転の真否、法人性の有無等故ら誘導尋問にかかり易い抽象的、主観的事項を捉えて誘導尋問をしたものである。原判決が証拠に採用している多数の組合員等の検察官に対する供述調書はかかる方法によつて作成されたものであるから、すべて信憑力を有しないものであり、原審証人の各証言中右の如き捜査方法の影響を受けたものも亦同様に信憑力に乏しいものであると主張する。

よつて記録を精査するに、原判決挙示にかかる本件共栄企業組合の組合員に対する検察官の多数の供述調書中には逮捕勾留の上その供述を録取したものが相当あり、中には業務上横領の被疑者として取り調べた者もあることは所論のとおりである。けれども、右逮捕勾留が自白を強制し又は虚偽の自白を求める手段としてなされたものなることは記録上窺われないから、逮捕勾留による取調の一事が直ちに右各供述調書の証拠能力、信憑力に消長を及ぼすものとは謂われない。又右業務上横領被疑事件の内容が共栄企業組合という法人の財産殊に営業売上金を隠し所得し擅に自己の用途に費消した嫌疑であつて、しかも右組合が仮装法人にして組合加入も形式だけで実際は個人事業を続けていたものとすれば、組合員が営業売上金を擅に自己の用途に費消しても横領その他の犯罪を構成しないことは所論のとおりであり、更に被疑者が自己の刑事責任を免れんとして故ら自己に有利な供述をなす傾向があることも否み難いところである。けれども、さればといつて業務上横領被疑者の組合の仮装法人性、個人営業の継続を肯定する供述を以て直ちに措信し得ないものとして一蹴し去ることが却つて経験則に反し当を得ないことは勿論であり、その信憑力の有無は各種証拠と比較対照して右供述内容を検討した上決すべきものと謂わねばならない。そして、記録を精査すれば検察官が右被疑者の刑責回避の心理を巧みに掴んで、専ら共栄企業組合の仮装法人性裏付の証拠固めの便法として利用するため、故ら業務上横領被疑者として逮捕し且つ誘導尋問をした形跡は認められない。このことは原判決挙示にかかる共栄企業の組合員に対する検察官作成にかかる二百を超える供述調書中業務上横領被疑者として取り調べたものは僅か三〇名にも足らずして、その他はすべて所得税法違反被疑者又は単なる参考人として取り調べている事実と、業務上横領被疑者として取り調べられた者も所得税法違反被疑者又は参考人として取り調べられた者も、いずれも組合の仮装法人性、個人営業の継続についてはこれを肯定し或は否定する者があつて、その供述内容は被疑罪名の如何に拘りなく大同小異である事実に徴してもその一端を窺うに十分である。又検察官が組合員の組合加入の動機、加入の際における資産所有権移転の真否、組合の法人性の有無について供述を求めているのは事案の性質による必要に基くものにして他意あるものでないことが記録上窺われ、しかもこれ等の事項が必ずしも誘導尋問にかかり易いものとは謂われないのみならず、検察官が故ら誘導的に尋問した形跡も窺われない。記録を精査し他の多数の各種証拠と比較対照して検察官作成の右各供述調書の内容を仔細に検討すれば、共栄企業組合の仮装法人性、個人営業の継続を肯定した各種供述が措信し難い事情は見出し難く、又これと同趣旨の内容の原審証人の各証言の信憑力を否定すべき事情も存しない。原審がこれ等の証拠を原判示事実認定の用に供したのはまことに相当であり、原審の措置に所論の如き採証上の違法は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨号一、一三(ロ)について。

所論は、税務署係員は殆んどすべての組合員に対して共栄企業組合の仮装法人性を強調し、各組合員が実質的には個人事業の経営者であるとして個人事業所得税の申告を勧告し、因つて以て組合員に本件組合が仮装法人であるという誤れる認識を植え付けたものであるのみならず、右勧告に応じて個人申告をした者に対しては極めて軽い課税を以て臨んだのに反し、組合の法人性を確信して個人申告をしない者には滞納処分の強権をふりかざして個人申告を間接的に強制し、かくて各組合員が共栄企業組合の法人性を肯定することができない状況を作為したものである。かような人為的先入感と個人申告の既成事実に支配された各組合員が検察官や裁判所の取調に際し共栄企業組合の法人性を否定するのは極めて当然のことであるから、これと同趣旨の供述内容を有する多数の検察官作成の供述調書並びに原審証人の証言が真実に反し信憑力に乏しいことは明らかであると主張する。

よつて記録を精査するに、税務当局が各種事実を査察の結果、本件共栄企業組合を実体を具備しない仮装の企業組合として組合員に対し個人事業所得税の申告を慫慂し、一部組合員をして個人申告をなすに至らしめたことは所論のとおり認められ、又組合員の右申告が共栄企業組合の法人性を否定した結果より出たものなることも所論のとおりである。けれども、税務当局のかかる措置が必ずしも組合員に対し組合が仮装法人であるという誤れる認識を与えるものとは限らないし、又心ならずも個人申告をしたからといつて爾後において終始組合の法人性を否定しなければならないとはいわれない。そして原判決挙示にかかる各組合員の検察官に対する多数の供述調書及び同人等の原審における各証言を他の各種証拠と対照して検討すれば、共栄企業組合の仮装法人性、個人事業の継続を肯定する供述は所論の如く税務当局の前記措置によつて誤れる先入感を醸成され個人申告をした結果によるというが如きものではなく、各自が組合加入の前後を通じて体験した過去の客観的真実をそのまま吐露したものなることが窺われる。税務当局が個人申告をした者に対しては減税し、個人申告に応ぜず納税しない者に対しては滞納処分をした所論の事実があつたとしても、それは徴税行政の適否に関するものであつて、かかる方法が虚偽の供述を誘発した事実の認められない本件においては、これ等の者の検察官に対する供述調書又は原審における証言の信憑力に消長を及ぼすものとは謂われない。

記録を精査しても組合員の検察官に対する各供述調書及び原審における各証言中共栄企業の仮装法人性、個人事業の継続を肯定する供述の信憑力を否定すべき事情は存しない。論旨は理由がない。

弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第二点について。

所論は、実質課税の原則は昭和二八年八月七日所得税法の一部改正法律により、初めて同法第三条の二に明文を以て創設的に規定されたものである。然るに、原判決が右原則は本件以前より税法に潜在していた法理であるとして、これを同条制定以前の本件に適用したのは憲法第三一条の罪刑法定主義、同法第三九条の刑法不遡及の原則に違反し、且つ所得税法第一条第二条第三条同条の二の解釈を誤まつた違法があると主張する。

所得税法第二条所定の課税対象となつている個人の所得とは当該個人に帰属する所得を指称するものであることは勿論であるが、その所得の外見上又は法律形式上の帰属者が単なる名義人に過ぎずして、他にその終局的実質的享受者が存在する場合、そのいずれを所得の帰属者として課税すべきであるかについて問題を生ずる。思うに、国家経費の財源である租税は専ら担税能力に即応して負担させることが、税法の根本理念である負担公平の原理に合し且つは社会正義の要請に適うものであると共に、租税徴収を確保し実効あらしめる所以であつて、各種税法はこの原則に基いて組み立てられており、又これを指導理念として解釈運用すべきものと謂わねばならない。さすれば、所得の帰属者と目される者が外見上の単なる名義人にしてその経済的利益を実質的、終局的に取得しない場合において、該名義人に課税することは収益のない者に対して不当に租税を負担せしめる反面、実質的の所得者をして不当にその負担を免れしめる不公平な結果を招来するのみならず、租税徴収の実効を確保し得ない結果を来す虞があるから、かかる場合においては所得帰属の外形的名義に拘ることなく、その経済的利益の実質的享受者を以て所得税法所定の所得の帰属者として租税を負担せしむべきである。これがすなわちいわゆる実質所得者に対する課税(略して実質課税)の原則と称せられるものにして、該原則は我国の税法上早くから内在する条理として是認されて来た基本的指導理念であると解するのが相当である。そして大正一一年法律第四五号所得税法中改正法律は夙にその第三条の二第一項において、信託財産に付生ずる所得に関しては其の所得を信託の利益として享受すべき受益者が信託財産を有するものと看做して所得税を賦課すと規定し、外形的所有名義に拘りなく当該財産より生ずる所得の実質的享受者に課税する趣旨を明文を以て宣明し、爾来数次の改正にも拘らず同一の立言形式を保持し現行所得税法第四条第一項本文となるに至つたものであり、更に昭和七年一月三〇日の判決以来屡次の行政裁判所判例が、所得税法上株式配当金の帰属を定めるに当つてその名義によるべきではなくしてその実質により決定すべきものである旨判示している事実に徴しても、亦その一端を窺うに十分である。従つて、昭和二八年八月七日法律第一七三号所得税法の一部を改正する法律により新たに追加された同法第三条の二所定の「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であつて、当該収益を享受せずその者以外の者が当該収益を享受する場合においては、当該収益については、所得税はその収益を享受する者に対してこれを課するものとする」旨のいわゆる実質所得者に対する課税の原則を宣明した規定は、従来所得税法に内在する条理として是認されて来た右原則をそのまま成文化した確認的規定であり、これによつて所得税法が初めて右原則を採用した創設的規定ではないと解するのが相当である。尤も、実質課税の原則は私法上の法律関係を前提とし乍ら、税法の目的と必要よりしてこれに実質的修正を加える結果をもたらし、個人の権利関係に重大なる影響を及ぼす関係からと、租税法律主義に厳格解釈を採用し、殊に租税法律関係につき権力関係説よりも債務関係説を強調する結果、納税義務者、課税物件、税率等すべての課税要件を法定すべきものとして課税当局の裁量的行為を極力排斥しようとする立場より、条理としての実質課税の原則の存在を否定し、所得税法第三条の二は創設的規定であると解する説もないではないが、税法が負担の公平を指導原理とし徴税の確保を目的とするものなることに深く思を致せば、かかる見解には到底左袒することはできない。

そして、日本国憲法はその第三一条において、何人も法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない、と規定し以て罪刑法定主義を明らかにし、又第三九条において、何人も実行の時に適法であつた行為(中略)については、刑事上の責任を問はれない、と規定して刑法の効力不遡及の原則を宣言している。その趣旨は如何なる行為を犯罪とし、これに対して如何なる種類の刑罰を科するかは予め成文法を以て規定しなければならないとするものであるが、更にその派生的原則として慣習刑法の排斥及び文理を越えた類推解釈の禁止が要請されるものとされている。けれども、さればといつて刑罰法規の内容がすべて明文を以て充足されねばならないものと解すべきでないことは多言を要しない。刑罰法規の形式如何によつては、成文法以外の慣習又は条理により、当該刑罰法規の内容を補充すること換言すれば犯罪構成要素に属する事実を判定することが許さるべき場合のあることは否み難いところである。本件に適用されている昭和二六年三月三〇日法律第六三号により改正された所得税法第二六条第一項第三号第六九条第一項前段は、結局、詐欺その他不正の行為により同法所定の課税総所得金額に対する所定の所得税額につき所得税を免れた者は、三年以下の懲役若は五百万円以下の罰金に処し又はこれを併科する旨を規定している。従つて、該規定は所得税逋脱罪の犯罪概念と刑罰の範囲を明確に規定しているから、これに該当する者を同条によつて処罰することはまさしく罪刑法定主義の要請に適うものと謂わねばならない。ただこの場合、所得の有無、多寡如何は直接右逋脱罪の犯罪構成要素に属するものとして、その判定が所得税法の各規定に基いてなさるべきことは勿論であるが、それは必ずしも成文のみに限らず同法に内在する条理も亦その基準となり得るものと解するのが相当である。従つてこの場合においては、犯罪構成要素に属する所得を成文以外の条理によつて判定することに帰するが、これは同法第六九条第一項の立言形式よりして許容されているものと謂わねばならない。されば、従来所得税法に内在する条理として是認されて来た実質課税の原則に従つて所得の帰属を判定した上、不正の行為により所定の所得税を免れたものとして同条により処罰することは、毫も罪刑法定主義に反するものとは謂われない。原審は実質課税の原則が従来吾国税法に潜在していた法理であるとし、これに基いて本件共栄企業組合が単なる名義上の所得の受享者に過ぎずして、所得の実質的帰属者は組合員個人であると断定した上、各組合員が詐欺その他不正の行為により所得税を免れたものとしたものにして、所得享受者の判定について昭和二八年八月法律第一七三号所得税法の一部改正法律第三条の二を適用したものでないから、その判断はまことに正鵠を得たものと謂わねばならない。従つて原判決に所論の如き憲法第三一条第三九条違反及び所得税法第一条第二条第三条同条の二の解釈適用を誤つた違法は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第三点及び弁護人諌山博の弁論要旨第三、一について。

所論は、被告人等は共栄企業組合が企業組合として適正に運用されるよう極力指導したものであるが、被告人等不知の間に被告人等の指示に反して一部企業組合の本旨に反する運営がなされたものである。従つて、仮りに共栄企業組合が法人としての統一経理を行わず、所属組合員が個人事業を営み組合を利用して脱税したとしても、それは被告人等の意図に反したものであるから、被告人等に組合員をして所得税を逋脱させようとする犯意はなかつたものと謂わねばならない。又被告人等がした組合加入勧誘の説明につき右犯意を推測せしめるごとき内容の原審証人の証言及び検察官作成の供述調書は記憶の混同錯誤に因るものにして信憑力に乏しいと主張する。

原判決挙示の証拠によれば次の各事実が認められる。

被告人等が本件共栄企業組合を設立し又はその組織を拡大する際、個人営業者を加入させるに当つては各種書類の様式においてその営業用資産を全部組合に買い上げ組合員の個人営業を廃止して組合一本に企業合同をした形式を採つているが、実体は全く趣を異にし、真実営業用資産を売買する意思はなく買上代金を支払わない代りに組合脱退の際右資産をそのまま売戻の形式を以て返還することを各組合員に約束し、かくて営業用資産の売買は組合と組合員双方が相通じてなした虚偽の意思表示であり、個人営業の廃止、企業合同も亦その実質を伴わない単なる形式に過ぎないものであり、又被告人等が組合を運営するに際しても、帳簿や各種書類の記載においては各事業所の収益を組合の収益として統一経理を行い各組合員に対し従業員として毎月所定の給料を支払つている形式を採つているが、実際においては各事業所の収益を組合の統一経理に組み入れることなく、売上金が月給名目額を超える場合もこれに充たない場合も組合資金としての留保又は同資金よりの補填を行わないで、所定の組合経費、源泉所得税相当額等を徴収した残額全部をそのまま給料、運転資金等の名目を以て当該組合員に返還して自由に生活費、営業費に使用せしめ、各組合員をして組合加入前と同様に個人営業者たる実質を享受せしめ、更に被告人等は課税当局が採用したいわゆる九原則の適用を免れ組合員に対する個人課税を回避する手段として共栄企業組合が資金の統一経理を実施している如く仮装するため現金プールを実施し、各組合員をして毎月一回売上金を組合事務所に提出させた上、帳簿や書類の形式と小切手の操作により各事業所の売上金をすべて組合の統一経理に組み入れた上各組合員に対し毎月所定の給料又は運転資金を支給している如き外形を整え乍ら、実際においては組合事務所に提出された売上金より経費、税金相当額等を控除した残額をその多寡に拘らずすべて給料、運転資金等の名義を以て当該組合員に還元し、かくて各組合員は実質的には依然として個人事業を営み乍ら、共栄企業組合の組合員という名を藉りて給与所得者として少額の税金を納入して多額の個人事業所得税を免れて来たものであり、しかもかような組織と運営はすべて被告人等において意図し指示したものである。そして、被告人等が個人営業者に対する組合加入の勧誘説明に際し、組合に加入すれば多額の事業所得税を免れ少額の給与所得税を納むれば足る旨を常に強調し宣伝し、営業者も亦これに強い共鳴と多大の利益を感じて組合に加入するに至つた事実、被告人等が多くの労力と経費を費やし敢て企業組合の実体を備えない仮装の共栄企業組合を設立、拡大し、実質的には各組合員にその収益全部を帰属せしめて個人営業を営ませ乍ら、表面的には組合が営業主体にして組合員は定額の給料を受ける従業員であるかの如く偽装し、これによつて各組合員が不法に個人事業所得税の納入を免れた事実、その他原判決挙示の各種証拠を綜合すれば、被告人等が仮装組合である本件共栄企業組合を設立し運営して来た所以のものは当時大資本の重圧と課税当局の徴税に喘いでいた弱小企業者の経済的地位の向上を図る意図があつたこともさること乍ら、課税当局の徴税対策に抗して右仮装組合を利用し、各組合員をして僅少の給与所得税を納めしめて多額の個人事業所得税を不法に免れしめんとする意図を有していたことは否み難いところにして、被告人等に個人事業所得税逋脱の犯意があつたことは優に認められる。記録を精査するも叙上の事実認定の資に供した証拠、就中被告人等の右犯意を推測せしめる各組合員の原審証言と検察官に対する各供述調書の信憑力を否定すべき所論の事情は見出し難く、又原判決に事実誤認、採証の誤は存しない。論旨は理由がない。

同弁論要旨第三、二、(イ)(ロ)について。

所論は、共栄企業組合の組合員中個人事業を営み営業利益を自ら取得する行為に出た者があれば、組合は中小企業等協同組合法第七九条第四項により介入権を行使してこれを組合の取引とみなすことができるから、当該組合員が個人事業所得税の対象になるものではないと主張する。

なるほど、所論の如き場合において所論の如き結論を生ずることは首肯するに十分である。けれども、本件共栄企業組合が実体を具備しない仮装の企業組合として設立、運営され、実質的にはすべての組合員が組合加入前と同様に個人事業を営んで来たことは縷述の通りである。そして論旨摘示の中小企業等協同組合法の規定は企業組合が同法の趣旨に則つて設立され名実兼ね備えた企業組合として適正に運営されている場合、例外的の異分子に対して適用されるものと解すべきであるから、本件の如き不法、仮装の共栄企業組合の組合員に適用の余地なく、所論は前提を異にし採用し難い。論旨は理由ががない。

又所論は、共栄企業組合の組合員が実質的に個人事業を営み個人所得税賦課の対象となる如き所得を挙げ乍ら個人事業所得税を納めなかつたとしても、故意にこれを免れたものでなくして企業組合に対する無知によるものであるから、詐欺その他不正の行為により所得税を免れたものと謂われないと主張する。

けれども、原判決挙示の証拠によれば原判示犯罪表記載の各組合員は何れも組合加入に際し真実営業用資産を組合に売り渡す意思なく、帳簿その他の書類の形式だけ売渡の形を採り組合員となつても従来通り実質的には個人事業を続けて営業収益を自ら全部取得するものなることを諒知し乍ら、かかる仮装組合の組合員となることにより多額の個人事業所得税を免れ得ることを奇貨とし敢て組合に加入し、実質的には個人事業を営み乍ら組合の従業員として所定の給料を受けている如く仮装して虚偽の確定申告書を提出し又は申告しないで個人事業所得税を免れた事実が認められるから、右組合員等は詐欺又は不正の行為により個人事業所得税を逋脱したものと謂わねばならない。論旨は理由がない。

弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第四点及び弁護人諌山博の弁論要旨第三、二、(ハ)について。

所論は、共栄企業組合は約三〇〇〇名の組合員を擁しその地域は九州各県、山口県、東京都にまで及んでいたものにして、被告人等がこれ等広汎な地域におけるかくも多数の組合員とそれぞれの脱税について各別に共謀することは不可能である。のみならず、各別に共謀するとは具体的な意思連絡があつて各組合員が所得税を逋脱したものでなければならないが、かかる意思連絡を認むべき証拠はない。然るに、原判決が被告人等が右組合員と各別に共謀して所得税を免れたと判示したのは事実を誤認したか、或は刑法第六〇条の解釈適用を誤つたものであると主張する。

原判決挙示の証拠によれば次の各事実が認められる。

共栄企業組合が一時は三〇〇〇名に達する多数の組合員を擁し、その地域は福岡、熊本、宮崎、大分、佐賀、山口の各県及び東京都にまで及んだことは所論のとおりである。けれども、原判決を挙示の各証拠と対照して仔細に検討すれば、「各別に共謀」という判文は所論の如く被告人各自が各組合員一人一人と直接に共謀した趣旨ではなく、被告人等が直接組合員と共謀した場合のみならず、被告人等が相被告人並びに組合の役員、職員その他を介して順次共謀した場合を指称するものなることが窺われる。従つて被告人等が遠隔の地に在る全く未知の組合員と共謀することは毫も不能のことではない。のみならず、原判決が認定した被告人等と共謀関係に在る組合員は福岡、熊本、宮崎、佐賀の四県内における二〇〇名を出でない数である。

そして共謀共同正犯が成立するためには、二人以上の者が特定の犯罪を行うため共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用し各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行した事実の存在することを必要とし、しかも共謀の事実が厳格証明を要すること及び同一の犯罪について数人の間に順次共謀が行われた場合は、これ等の者のすべての間に当該犯行の共謀があつたものと解すべきことは既に最高裁判所判例(昭和三三年五月二八日大法廷判決、最高裁判所判例集第一二巻第八号一七一九頁参照)の示すところである。

ところが、昭和二四年六月一日中小企業等協同組合法が制定施行されるや、被告人森原春一、同木下仙友は当時大資本の重圧と課税当局の徴税に喘いでいた弱小企業者の生活を護りその経済的地位の向上を図るため課税当局に対する反税斗争を展開し、弱小企業者をして僅少の給与所得税を納めしめて多額の個人事業所得税を不法に免れしめんことを企図し、これが手段として組合加入に際しては営業用資産を真実組合に引き継がず企業合同もしないで、加入前と同様に個人事業を営ましめて営業上の収益をすべて組合員個人に帰属せしめ乍ら、外形的には恰も営業用資産を組合に引き継いで企業合同を行い、組合が事業を営み組合員は組合の従業員にして単なる給与所得者となるものの如く仮装し、以て中小企業等協同組合法所定の企業組合たる実体を全く具備しない仮装の企業組合たる本件共栄企業組合を設立して運営し、被告人上野盛雄、同渡辺実信、同馬場卯三郎は被告人森原春一等の前記目的、意図に賛同し組合の実体を諒知してこれに加わり、かくて被告人五名は意思相通じて右組合の運営と組織の拡大に努め、組合員をして実質的には加入前と同様に個人事業を営ましめ乍ら、仮装組合の従業員たる名を藉りて給与所得者としての小額の所得税を納入し個人事業所得税を不法に免れしめたものであるから、被告人等五名は共栄企業組合なる仮装組合を利用し組合員をして個人事業所得税を不法に免れしめることにつき相互に共謀したものと謂わねばならない。

そして、本件共栄企業組合は本部を福岡市に置き、福岡、熊本、宮崎、大分、佐賀、山口の各県及び東京都に各組合支部を設置しその管下に多数の出張所を設け各組合員は各出張所に所属して事業を運営して来たものであるが、被告人五名(被告人森原は主として福岡、熊本、佐賀、山口の各県支部管内、被告人木下は主として福岡、宮崎、山口、大分の各県支部管内、被告人上野は主として福岡、佐賀、熊本、大分の各県支部管内、被告人渡辺は熊本県支部管内、被告人馬場は宮崎県支部管内における各説明を担当)又は被告人等の意を受けた組合の役職員その他の者は組合の内容についての説明会等において組合加入の勧誘をなすに際し、組合に加入すれば月給取ということになるから月給額に対する所得税だけを納めればよく、事業税を納める必要はない、資産は組合が買い上げるが本当に買い取るのではなくして買つたことにして帳簿にのせるだけであるから、代金は支払わないが、組合脱退のとき売戻の形でそのまま返還する営業も従来通りあなた達の営業で売上もあなた達のものである、給料以外の金は運転資金という名目になる趣旨を説明し、組合員は右趣旨を諒承しこれに賛同し資産譲渡と企業合同を仮装して加入し、或は又被告人等は組合の指導者として各県支部及びその管下各出張所という組織的組合機構を通じて、組合員をして個人事業所得税を免れしめる意図を以て実体を備えない仮装の本件共栄企業組合を恰も適式の組合の如く運営し且つ組織の拡大を図つて組合員の増加に努め、組合員は該機構と運営によつて右意図と組合の実体を諒承しこれに賛同して資産譲渡と企業合同を仮装して加入したものであり、加入後においては支部、出張所という機構を通じて伝達される被告人等の計画、指示に従つて組合運営の末端事務すなわち各事業所の営業に従事し、各自営業収益から組合に納入する所定の経費、源泉所得税相当額等を控除した残額をすべて取得して実質的には個人事業を営み乍ら、恰も組合の従業員として組合の営業に従事し所定の給料を受けているものの如く装い給与所得税を納めるだけで個人事業所得税を免れたものである。従つて、実体を有しない仮装の本件共栄企業組合を不正に利用し、実質的には個人事業を営み乍ら組合の従業員として定額の給与を受けているものなる如き外形を装い個人事業所得税を免れることについて、各被告人と各組合員(少くとも原判示犯罪表記載の組合員)との間においては直接共謀するか、又は他の被告人、組合の役員、職員その他の者の説明を通じ、或は県支部管下出張所の役員、職員を通じ、若しくは末端営業の運営を通じて順次具体的に犯意を相通じ、共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用して各自の意思を実行に移したものにして、かくの如きは前示判例の共謀に該当するものというべく、従つて被告人等は原判示犯罪表記載の各組合員と共謀して原判示の如く個人事業所得税を免れたものと謂わねばならない。

そしてまた、被告人等は前示大規模の組合の組織と方法により多数の組合員と共謀して個人事業所得税を免れしめんとする意思を有していたものであるから、たとえ実行正犯として所得税を免れた者が何人であるかを具体的に諒知しなくとも、実行正犯との間に共謀関係の成立を妨げるものではない。

記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認、刑法第六〇条解釈の誤は存しない。論旨は理由がない。

弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第五点について。

所論は、原判決が所得税法第六九条第一項の罪を犯人の身分により構成すべき犯罪として刑法第六五条を適用したのは所得税法及び刑法の右各法条の解釈を誤つたものであると主張する。

けれども、刑法第六五条にいわゆる身分とは、総て一定の犯罪行為に関する犯人の人的関係である特殊の地位又は状態を指称するものなるところ、所得税法第六九条第一項の罪においては、同罪の目的物に対する犯人の関係が納税義務の存在という特殊の状態に在ること、すなわち犯人が所得税納入義務者である特殊の地位にあることが犯罪の構成要件をなすものであるから、犯人の身分により構成すべき犯罪に当るものと謂わねばならない。従つて原判決がかかる身分を有しない被告人等において身分を有する組合員と共謀して所得税法第六九条第一項の罪を犯した本件につき、刑法第六〇条の外同法第六五条第一項を適用したのはまことに相当である。論旨は理由がない。

同控訴趣意第六点について。

所論は、原判決は所得税逋脱の方法として虚偽の所得税確定申告書を提出したことを詐欺の行為とし、又期限内に確定申告書を提出しなかつたことを不正の行為として所得税法第六九条第一項により処断しているが、同法第四六条において虚偽の申告に対しては更正の手続が、又無申告については決定の方法が規定されていることに徴すれば、同法は虚偽の申告を已むを得ないものとして、これに対しては救済措置を設けて処罰しない立前を採つているものと解すべく、又正当な事由のない無申告については同法第六九条の四の罪が成立するものと解すべきである。然るに原判決が本件に対し同法第六九条第一項を適用したのは同条の解釈を誤つたものであると主張する。

けれども、国の財源を確保するための租税の徴収と脱税犯に対する処罰とは全くその目的、性格を異にするものであるから、虚偽の所得税確定申告書を提出した場合、租税の徴収を確保するため実体調査によりこれを更正し得る旨定めた徴税行政上の手続規定と、かかる違法行為による脱税を処罰すべき旨定めた刑罰規定とはその適用さるべき分野を異にするものにして、右更正手続の規定があるからといつてかかる行為を処罰する規定の解釈を二、三にすべきいわれは存しない。又同法第六九条の四は詐欺その他不正の行為を伴わない単純不申告による所得税の逋脱行為を処罰するものであるから、詐欺その他不正の行為を用いた場合に適用のないことは多言を要しない。

そして、所得税逋脱の目的を以て中小企業等協同組合法所定の実体を備えない仮装の企業組合に営業用資産を真実譲渡しないで加入し、組合員となつても実質的には個人営業を営み営業上の一切の損益を自ら享受し乍ら、外見的には恰も営業用資産を組合に譲渡して加入し、営業主体たる組合の従業員として定額の給料を受けているものの如く偽装し、因つて年間における多額の事業所得金額を少額の給与所得として過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、税務官吏を欺罔して申告内容に相当する所得税額のみを納付して残余の所得税を逋脱したときは、詐欺的行為により所得税を逋脱したものと解すべく、又前示の如き仮装の企業組合に営業資産を真実譲渡しないで加入し、組合員となつても実質的には個人事業を営み営業上の一切の損益を自ら享受し乍ら、外見的には恰も営業用資産を組合に譲渡して加入し、営業主体たる組合の従業員として定額の給料を受けているものの如く偽装し、因つて年間における事業所得総金額を給与所得として過少に見積り、確定申告書を提出しないで納期限を徒過し以て所定の所得税を逋脱したときは、不正の行為によりこれを逋脱したものと解するのが相当である。

従つて、原判決が原判示の如く事実を認定し所得税法第六九条第一項を適用処断したのはまことに相当であり、原判決に所論の如き同条解釈の誤は存しない。論旨は理由がない。

弁護人青柳盛雄の控訴趣意第一点について。

所論は要するに、当時極めて不合理な税制度、不法不当な課税方法により生活の危機に追い込まれていた中小企業者を救済するには必然的に税斗争の必要を生じ、被告人等はその一形態として共栄企業組合を結成し中小企業者の税制改革、適正課税要求の目的達成の役割を演じたものであるから、かくの如きは憲法第一二条第一三条第二五条第一項の要請に合致するものである。然るに原判決が共栄企業組合が税斗争を主眼とする生活防衛隊であるとし、これを基礎として被告人等の行為が国家の法秩序に挑戦した悪質な租税の逋脱行為であると断じたのは憲法の右各条項に違反すると主張する。

よつて記録を精査するに、原判決挙示の証拠によれば次の各事実が認められる。

なるほど、中小企業等協同組合法が施行された昭和二四年六月当時において中小企業者が大資本の重圧に苦しみ課税当局の徴税に喘いでいる状況にあつたことは否み難いが、当時の税制度が極めて不合理であり課税方法が極めて不法不当であつたという所論の事実は認められない。又被告人等が本件共栄企業組合を結成するに至つた動機が前叙の如き状況下にあつた中小企業者の経済的地位の向上を企図したことも否定し得ないところにして、かかる中小企業者のために所論の如く税制の改革、適正課税を標榜してその目的達成に尽力することが排斥すべきものでないことは論を俟たないところであり、且つ又この意味において共栄企業組合が税斗争を主眼とする生活防衛隊の役割を演じたとすれば、毫も非難すべき限りではない。けれども、被告人等は中小企業者の生活の向上を図るに在つたことは謂い乍ら、多数の中小企業者をして所得税を不法に免れしめんことを企図し、中小企業等協同組合法所定の企業組合の実体を備えない極めて大規模の本件共栄企業組合を結成し運営して、実質的には企業合同を行わず組合員をして個人営業を営ましめ乍ら、外形的のみ企業合同をなし、組合員が組合の従業員として給与所得者なる如く偽装し、因つて極めて広汎な地域に亘つて動員した多数の組合員をして莫大なる事業所得税を逋脱せしめたものであるから、被告人等の所為はすなわち国家の法秩序を紊して租税を逋脱したものと謂わねばならない。又原判決は所論の如く共栄企業組合が税斗争を主眼とする生活防衛隊であることを以て直ちに法定の企業組合たる実質を備えない仮装の企業組合であると断定したものではなく、右の如き生活防衛隊なる判示は被告人等が仮装の本件組合を結成するに至つた単なる縁由、動機に過ぎないことは判文を熟読すれば極めて明確に看取されるところである。原判決に所論の如き事実誤認、憲法の条項違反は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点について。

所論は、企業組合は一面において営利を目的とする法人たる性格を失つていないが、純然たる資本の結合体である会社と同じ性質の営利法人ではなく、人的要素の濃厚な合作社的性質を有する事業体であり、組合員は所得の面では組合の従業員であるけれども、労働の面では従来の個人事業者としての経験を活用し自由な活動をなす任務を有するものである。そもそも企業組合は中小企業者の基本的人権を護るため設けられた結合体であるから、かような役割を演ずるものである限り如何なる形態を備えようともすべて法定の企業組合であり、その実体は複雑多岐にして定型のないものである。然るに、原判決は中小企業等協同組合法の解釈を誤り企業組合の営利法人性のみを強調して企業組合に独自の定型を想定し、共栄企業組合がこれに該当しないからといつて法定の企業組合ではなく仮想組合であると盲断している。のみならず、共栄企業組合は独立の法人格を有し組合員に独自の事業経営をなさしめた事実はないのに拘らず、原判決は資産譲渡、現金管理等の実体より組合員が個人事業を営んだものと推断し、憲法の保障する団結の自由を蹂躙したものであると主張する。

企業組合は事業協同組合、信用協同組合、協同組合連合会と共に昭和二四年六月一日法律第一八一号中小企業等協同組合法(以下単に中小企業等協同組合法と称する)によつて創設された制度であるが、原判決挙示の証拠によればその立法理由は、当時大資本の企業攻勢に圧倒されんとする状況下に在つた零細事業者更には勤労者が、この資本勢力に対抗するため相互扶助の精神に基き協同して事業を行うことによつて経営を合理化し、自立的経済活動を促進して経済的地位の向上を図らんとするに在つたことが認められる。同法第一条が、この法律は中小規模の商業、工業、鉱業、運送業、サービス業その他の事業を行う者、勤労者その他の者が相互扶助の精神に基き協同して事業を行うために必要な組織について定め、これ等の者の公正な経済活動の機会を確保し、もつてその自主的な経済活動を促進し、且つその経済的地位の向上を図ることを目的とすると規定しているのは、すなわちその趣旨を宣明したものである。

かくて、本法に基く各種組合は相互扶助の精神を基礎とし組合員全体に直接奉仕することによつて、その経済的地位の向上を図ることを終局の目的とする人的結合体であり、その営む各種営利行為は利潤獲得を直接且つ唯一の目的とするものではなく、右終局目的達成のための手段に過ぎないものである。

かようにして、右各組合中事業協同組合、信用協同組合、協同組合連合会は営利性と公益性の双方を具有するいわゆる中間法人たる性質を有し、しかもこれ等の組合は組合員の事業を助成するため各種共同施設をなし、又これに関連する事業を行うところのいわゆる助成団体であつて、組合員はいずれも独立の事業主体として自ら各種事業を営み組合を利用することによつて各自その経営を合理化し利潤の追求を図るものである。

ところで、同法第二条第四条第二項は企業組合を右各協同組合と同一種類のものとして規定しているものの如くであるが、企業組合については第五章に特別の規定を設け、殊に第七八条において、企業組合は商業、工業、鉱業、運送業、サービス業その他の事業を行うものとして、企業組合が自ら事業主体として専ら典型的な各種営利事業を行う法人(第三条第一項)なることを明らかにしているが、企業組合がかかる営利事業の主体たることはその反面においてこれと相容れない組合員の右事業に対する主体性を否定するものと謂わねばならない。かかる趣旨の右規定に前叙の如き立法理由と同法第一章の各規定を参酌して考察すれば、企業組合とは零細事業者更には勤労者が組合加入の際、資本と労働力を組合に没入し、殊に事業者は営業用資産のすべてを組合に提供して企業合同をなし、組合員は従来の事業主体たる地位を失い組合の従業員としてその智識、技能、経験、労力を活用し組合事業に従事して給与を受け、組合が唯一の事業主体として自ら商業、工業、鉱業、運送業、サービス業その他の営利事業を行い利潤を獲得する事業体と観るべきであるから、かくの如きは一種の営利法人と解するのが相当である。同法が第七九条第三項において、組合員は総会の承認を得なければ自己又は第三者のために組合の事業の部類に属する取引をしてはならないとして、組合員が組合以外のために組合と同種の事業を行つてはならないものとして組合員の事業主体たる地位を否定し、第八一条において、組合員が組合の行う事業に従事したことによつて受ける所得のうち、組合が組合員以外の者で組合の行う事業に従事する者に対して支払う給料、賃金、費用弁償、賞与及び退職給与並びにこれらの性質を有する給与と同一の基準によつて受けるものは、所得税法の適用については給与所得又は退職所得とするとして、組合員が独立の事業主体としてではなく組合の従業員として給与等を受けることを明らかにし、又第八二条において、他の協同組合について規定されている組合員に対する経費の賦課(第一二条)、組合員より使用料、手数料の徴収(第一三条)を否定し、企業組合がその経費を自己の事業収益より支弁すべきものとして、組合が営利法人であり又組合員が独立の事業者でないことを間接的に是認しているのは、すなわち企業組合の前叙の如き性格を裏書するものと謂うべく、更に、法人税法第九条第六項において、企業組合の組合員に対する従事分量の分配金を法人所得の損金として計算しないで組会員の配当所得として取扱い、又同法第一七条第一項第一号において、企業組合の所得については高率の四二パーセントの税率を徴しこれを事業所得としているのも、企業組合の営利法人性を肯定する見解に立つものと謂わねばならない。尤も、企業組合はその行う事業の種類態様は酷似しているけれども、単なる資本の結合体として利潤追求以外に目的を有しない営利法人の典型たる商事会社とは著しく趣を異にし、相互扶助の精神によつて強く結ばれた労資一体の人的結合体であり、資本の集中、技術の活用、労働力の集約を通じて経営を拡大強化し合理化して各組合員の経済的地位の向上を図ることを最高目的とし、組合の営む営利事業も畢竟右目的に奉仕する手段に過ぎないものである。けれども、これは組合の中に人格と個性を没入し事業の主体性を喪失して、その姿を組合内に渾然融合し尽した組合員に対する奉仕にして純然たる組合内部の関係であり、彼の組合外において独立の事業主体たる地位を有する組合員に奉仕することを目的とし、その営む事業も趣を異にする事業協同組合等とはその態様、性格に著しい相違があるから、該組合の如く中間法人たる色彩を帯有するものでないと謂わねばならない。

かように、企業組合は営利法人たる点において且つ又組合のみが事業主体にして組合員は組合の従業員に過ぎない点において、他の協同組合とは著しく性格を異にする法人と謂うべきであるに拘らず、中小企業等協同組合法がこれ等協同組合と同列に規定した所以のものは、企業組合が他の協同組合と同様に組合員の相互扶助の精神を基調とした人的結合体である特殊の性格を有する点を考慮し、同法所定の基本原理に従つて組合を運営する必要あるに因ること以外に他意ないものと謂わねばならない。尤も、同法が企業組合を他の協同組合と同列に規定し、殊に同法第二条第四条第二項において企業組合を他の協同組合と同一種類のものとして規定している点を捉えて、企業組合が他の協同組合と同一性格を有する法人であり、企業組合の組合員も他の協同組合におけると同様に組合から独立した事業主体たる地位を保有し組合を利用して自ら事業を営むものとする見解がないではないが、これは同法第五章の各規定を無視し更には法人税法第一七条第一項第一号第九条第六項の各規定を顧みない譏を免れ難く、到底左袒し得ないところである。

叙上説示のとおりであるから、苟も中小企業等協同組合法所定の企業組合たるには、事業者が組合加入に際しては自己の営業用資産を挙げて組合に提供し、自らは事業主体たる地位を喪失して組合より給料を受ける従業員となり、組合が唯一の事業主体として事業を行うものなることが不可欠の要件と謂うべきところ、本件共栄企業組合は従来数次にわたる説示のとおり組合員の事業所得税を免れるため、外形的には組合員は自己の営業用資産を組合に提供して組合より所定の給料を受ける従業員と化し、組合に事業を集中統合して組合が唯一の営業主体たる形式を採つているけれども、実体は各組合員が依然としてその営業資産を保有し、営業収益もすべて自ら取得して個人営業を行い組合は営業主体ではないから、企業組合を仮装した偽装法人と謂わねばならない。しかも、かかる所得帰属の判定は適正課税と実質課税の原則適用のため税法上の関係においての判断であつて、直ちに私法法律関係を根本的にかように変更するものではないから、企業組合が登記によつて附与せられた法人格を何等否定するものではない。又憲法第二八条の団結権は名実兼ね備えた適法な団結の自由を保障したものであるから、本件共栄企業組合の如き不法の目的を有する実体を備えない仮装組合の結成について適用のないのは論を俟たないところである。

原判決に所論の如き憲法違反、法律解釈の誤、事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第三点について。

所論は、所得税法第六九条第一項所定の不正の行為とは、税務官吏を錯誤に陥れ更正決定をなさしめないで所得税を免れ得ると客観的に解せられる性質のものを謂うから、積極的作為行為でなければならない。原判決は共栄企業組合を利用する方法により確定申告書を提出しなかつたことを以て不正の行為としているが、かかる方法は積極的に税務官吏を錯誤に陥れたものとは謂われない。又同条の所得税を免れるとは税務官吏が職務義務を懈怠しないで更正決定をしなかつたことにより課税されなかつたことを謂うものであるから、右職務義務懈怠の有無を究明しなければならないのに、原判決がこの点を看過して所得税を免れたものとしたのは法律の解釈を誤つていると主張する。

しかし、所得税法第六九条第一項の不正の行為とは、客観的に不正にして租税の収納を減少せしめる虞のある一切の行為を指称し、積極的行為のみならず消極的行為(不作為)(例えば正規の帳簿に売上を全く記載しない場合の如し)をも包含するものと解するを相当とし、そしてまた、その不正の行為は逋脱の手段として用いられ逋脱と因果関係が存すれば足り、且つ不正と目される行為自体の終了によつて完成し、必ずしも税務官吏に対して施されることを要しないものと解すべきであるから、逋脱犯が成立するには、不正の行為により税務官吏が錯誤に陥ることを要するものではなく、又税務官吏に職務義務の懈怠がなくして逋脱の結果を生じたことも必要とするものでないと解すべく、しかもかく解することは同条の文理に副う所以である。

そして原判決挙示の証拠によれば、被告人等と共謀にかかる原判示各組合員は、企業組合の実体を備えない仮装組合たる共栄企業組合に加入して、実質上は営業資産を譲渡せず組合員となつても個人事業を営み乍ら、資産譲渡の書類、帳簿の記載等により営業資産を組合に譲渡し組合の従業員として給料を受けているものの如く偽装した各種積極的の不正行為により、多額の事業所得を少額の給与所得の如くにして確定申告書を提出せず、本来納入すべき所得税を納めないで納期限を徒過したことが認められるから、仮りに税務官吏において錯誤がなく且つ又職務義務の懈怠があつたとしても(尤も挙示の証拠によれば、税務官吏が右不正の行為により錯誤に陥つていたことが認められる。)、所得税法第六九条第一項所定の不正の行為により所得税を免れたものと謂わねばならない。原判決に所論の如き法律解釈の誤、事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

その他の論旨は弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第六点と同旨であるから、これに対する前掲判断によつて諒解すべきである。

同控訴趣意第四点について。

所論は、原判決が被告人等が多数の組合員と共謀して仮装の共栄企業組合を利用し詐欺又は不正の行為により所得税を免れた旨判示し、共謀共同正犯理論を適用して実行行為に関与しない被告人等を処罰したのは刑法第六〇条の解釈を誤つたものであると主張する。

けれども、共謀共同正犯の理論すなわち共謀共同正犯の成立に必要な共謀に参加した事実が認められる以上、直接実行行為に関与しない者でも他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行つたという意味において共同の責任を負うべきことは既に屡次の最高裁判所判例(特に昭和三三年五月二八日大法廷判決、判例集一二巻第八号一七一九頁参照)の是認するところであり、原判決がこれに従つたのはまことに相当である。原判決に所論の如き法律解釈の誤は存しない。なお本件に対する右理論適用の具体的説明は弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第四点に対する判断により諒解すべきである。

又所論は、原判決が共犯者の自白のみを以て自白しない他の共犯容疑者の有罪を肯定したのは憲法第三八条第三項に違反すると主張する。

けれども、共犯者であつても被告人本人との関係においては被告人以外の者であつて、かかる共犯者の犯罪事実に関する供述が憲法第三八条第三項のいわゆる「本人の自白」に当らないことは既に最高裁判所大法廷判例(前示昭和三三年五月二八日判決)の示すところであるから、共犯者の自白のみを以て自白しない他の者の有罪を肯定しても毫も憲法の右条項に違反するものとは謂われない。

のみならず、原判決は共犯者の多数の自白の外他の各種多数の証拠を補強証拠として各組合員の犯罪事実を認定しており、しかも記録を精査すればこれ等の各種証拠が所論の如く補強証拠としての価値を有しないものとは到底認められない。原判決に所論の如き憲法違反は存しない。論旨は理由がない。

更に所論は、原判決が証拠として採用した共犯者の自白はすべて任意性を有しないのに拘らず、これを以て原判示事実を認定したのは違法であると主張する。

けれども、記録を精査しても所論共犯者の自白の任意性を疑うべき事情は存しない。論旨は理由がない。なおこの点の詳細については弁護人諌山博の弁論要旨第一、一三(イ)(ロ)に対する信憑力についての判断は任意性と共通するから、これによつて諒解すべきである。

同控訴趣意第五点について。

所論は、原判決は個々の具体的事実の認定において採証の法則を誤り、多数の事実誤認に陥つていると主張する。

けれども、記録を精査しても原判決に所論の如き採証の誤、事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

弁護人清源敏孝の控訴趣意第一点について。

所論は要するに、憲法第三八条第一項は刑事手続のみならず、一切の事項について国民は不利益な供述を強要されないことを保障したものと解すべきである。従つて所得税確定申告書を提出しないこと及び虚偽の申告書を提出したことを処罰するのは憲法の同条項違反である。又所得税の確定申告を法律を以て強制し正当の事由によらない無申告や虚偽申告を処罰する所得税法第二六条第一項第六九条の四は憲法の右条項に違反すると主張する。

けれども、憲法第三八条第一項は何人も自己が刑事上の責任を問われる虞ある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべきことは既に最高裁判所の判例(昭和三二年二月二〇日大法廷判決集第一一巻第二号八〇二頁参照)とするところであるから、所得税の確定申告を法律を以て強制し正当の事由によらない無申告や虚偽の申告を処罰する所得税法第二六条第一項、第六九条、同条の四は憲法の前記条項に違反するものとは謂われない。原判決が本件に対し所得税法第六九条を適用して被告人等を処罰したのは相当であり、所論の如き憲法違反は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点について。

所論は、単純不申告による逋脱が所得税法第六九条第一項に該当しないことは最高裁判所の判例とするところであるのに拘らず、原判決が単に確定申告書を提出しなかつたことを以て同条の不正の行為により所得税を逋脱したものとして処断したのは右判例に違反し同法の解釈を誤つたものであると主張する。

けれども、原判決は所論の如き単純不申告を以て不正の行為による逋脱としたものではなくして、組合員が企業組合の実体を備えない仮装の共栄企業組合に加入し実質的には自ら個人事業を営み乍ら、外形上は組合の従業員として給料を受けている如く偽装したことを以て不正の行為となし、かかる不正の行為によつて期限内に確定申告書を提出しないで所得税を免れたものと判示した上、所得税法第六九条第一項を適用したものであるから原判決に所論の如き判例違反、法律解釈の誤は存しない。

論旨は理由がない。

同控訴趣意第三点について。

所論は、被告人等と共謀して所得税を免れたものとされている組合員は当時の給与所得について源泉徴収により税金を納めているから、この分は本件の逋脱額より控訴さるべきものである。然るに原判決がこれを控除しないで判示の如く逋脱額を認定したのは違法であると主張する。

けれども、原判決(第二冊以下)を仔細に熟読すれば、原判決は本件所得税の逋脱額を算定するに当り判示組合員が給与所得について既に源泉徴収された税額を逐一控除していることが明らかである。原判決に所論の如き違法はない。論旨は理由がない。

同弁護人の第二控訴趣意、一中小企業組合の法人性について。

所論は、企業組合は営利法人ではないと主張する。

けれども、企業組合は原判示のとおり一種の営利法人と解するのが正当であることは弁護人青柳盛雄の控訴趣意第二点に対する判断において詳細説明したとおりであるから、これによつて諒解すべきである。論旨は理由がない。

同控訴趣意二について。

所論は、実質課税の原則は本件以後法律によつて創設されたものであるから、これを本件に適したのは憲法に違反する。仮りに実質課税の原則が本件に適用ありとしても、法人たる共栄企業組合に法人税を課し組合員に隠し所得がある場合事業所得として課税すれば負担公平の原則に適合すると主張する。

けれども、実質課税の原則は従来吾国税法に内在する指導理念として是認されて来たものにしてこれを成文化した所得税法第三条の二が確認規定であること、及び右原則の適用により本件共栄企業組合は課税の対象から除外され組合員をすべて個人事業者として課税すべきものなることは従来縷々説明したとおりである。論旨は理由がない。なお詳細は弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第二点に対する説明により諒解すべきである。

同控訴趣意一中企業組合指導の点及び同三について。

所論は、昭和二四年六月法律第一八一号を以て中小企業等協同組合法が施行されて企業組合が創設されたが、これに対して政府当局は何等具体的な指導を講じなかつたと主張する。

けれども、原判決挙示の証拠によれば次の事実が認められる。

企業組合は右法律に基いて初めて創設された関係上、その設立において又運営において疑なきを保し難い点があり、種々問題が伏在していたことはこれを首肯するに難くはない。そして又これに対する政府当局の指導も必ずしも万全を尽したものとは謂えぬ憾がないではない。けれども、右法律施行後中小企業庁は企業組合指導指針、企業組合経理指導要領等を発行して参考に供せしめ、又同庁の指示を受けた県当局においては企業組合の運営指針等の印刷物の配布や説明会の開催等により、中小企業者に対して同法の趣旨を説明して企業組合の設立、運営の方法を指導し、殊に組合設立に関して相談に来た者に対しては懇切丁寧に指導説明をしたのであるが、本件共栄企業組合の指導者達はかかる説明を求める如き態度を示さなかつたものである。論旨は理由がない。

同控訴趣意四について。

所論は、福岡、熊本両県の税務当局は本件共栄企業組合の各組合員に対し昭和二五、六年度の事前減額承認申請を容認して給与所得者たることを認め乍ら、本件が摘発されるやその態度を豹変してこれを間違であつたとなし、又中小企業等協同組合法に則つて多数の企業組合が成立するや、これに驚いた課税当局はかかる組合を潰滅するため、九原則なる一片の通達を出して中小企業の団結と社会的地位の向上を阻害したもので、かくの如きは憲法に違反すると主張する。

けれども、原判決挙示の証拠によれば次の各事実が認められる。

本件共栄企業組合は組合員の加入、資産の譲渡、事業の運営等その形式は中小企業等協同組合法に則つた適式の企業組合たるが如き外観を有し、剰え極めて広汎なる地域に亘つて多数の組合員を擁する大規模の組合であり、且つ組合員が当局の実体調査を拒否するが如き態度に出た関係上、当局はその実体すなわち資産の譲渡も企業合同も仮装にして実質的には組合員が組合の従業員ではなくして自ら個人事業を営んでいた事実を看破し得ず、已むなくその外形に従つて企業組合として取り扱い組合員に対し事前減額承認をしたが、その後実体調査の進むに従い昭和二七年に至つて漸く共栄企業組合が実質を備えない仮装の企業組合なる事実を看破するに至り、実質課税の原則に基いて各組合員には個人事業者として課税するのが相当であるとしてさきに是認した事前減額承認の誤なることを指摘したものであるから、該措置はまことに当を得たものと謂わねばならない。又中小企業等協同組合法施行後成立した企業組合の中には、単に事業所得税を免れる手段として企業組合の実体を備えない仮装の企業組合を設立し、実質的には組合員が依然として個人事業を営んでいるものが多数簇出したため、国税庁はこれが対策として昭和二五年一〇月二四日附を以て全国国税局長宛九原則なる通達を出し、これに該当する仮装の企業組合の組合員に対しては個人事業者として課税するに至つたものである。けれども、実質を具備した適法な企業組合はこれによつて毫も影響を受けることなく、まして当局がかかる企業組合を潰滅せんとする意図を有していたものとは謂われない。そして右九原則なるものは従来より税法に内在する条理として是認されて来た実質課税の原則の具体的運用の標識に外ならないから、実体を具備しない仮装の企業組合に右原則を適用し、その組合員を個人事業者として課税することは何等違法とは謂い難く、これがため右仮装組合の発展を阻害することがあつてもそれは組合の不法性に基因する当然の結果と謂うべく、かくて九原則は適法なる企業組合を結成している一般の中小企業者の団結と社会的地位の向上を毫も阻害するものではないから、憲法に違反するものとは謂われない。論旨は理由がない。

同控訴趣意五について。

本論旨は、弁護人諌山博の弁論要旨第一、二、三、七、八と同旨であるから、これに対する判断によつて諒解すべきであり、論旨は理由がない。

同控訴趣意六について。

所論は、検察官は本件捜査において組合員を横領容疑で逮捕勾留して取り調べ、剰え欺罔、誘惑、脅迫、強制、暴行等あらゆる手段を用いて虚偽の自白を迫り、又「組合を法人といえば横領になり、法人でないといえば横領にならぬ」と申し向けて誘尋尋問をなし、或は調書に署名押印を強要したものであるから、多数の組合員の検察官に対する供述調書は任意性を欠き信憑力を有しないものである。更に原審における各証人も検察庁や国税局の報復的迫害を恐れて検察官調書の通り虚偽の証言をしたものであるから、これ又任意性、信憑力を有しないものであると主張する。

よつて記録を精査するに、検察官が組合員の取調に際し一部の者を横領被疑者として逮捕勾留したことは相違ないが、所論の如く欺罔、誘惑、脅迫、強制、暴行等を加えて虚偽の自白を迫り、或は誘導尋問し又は強いて調書に署名押印せしめたこと及び原審証人が所論の如き畏怖心を抱いて証言したことはいずれも認め難く、その他右各供述調書並に証言の任意性、信用性を疑うべき事情は存しない。原審証人の証言中所論に副う趣旨の証言がないではないが、これ等は他の各種証拠に対照してたやすく措信し難いところである。原審が前記各証拠を原判示事実認定の資に供したのは相当である。論旨は理由がない。なお詳細は弁護人諌山博の弁論要旨第一、一三(イ)についての信憑力の説明は任意性にも共通するからこれによつて諒解すべきである。

同控訴趣意七、八について。

所論は、組合員が必要資金を自己の責任において他より借り受け、一応これを組合に差し入れた後自己の事業資金として使用し且つ自ら返済したのは、組合において融資を得られなかつたためであるから違法ではない。又組合員が自己の事業所において挙げた収益の余剰を他の事業所に回転することは困難であり、且つ組合全体の発展を阻害するものである。元来共栄企業組合は完全に企業合同を遂げていたものであるから、各事業所の収益を如何に処理するかは組合内部の事項にして組合の自由であると主張する。

記録によれば、共栄企業組合が他より融資を受けようとしてその目的を達し得なかつたことは認められないことはない。そして組合に全く資金がないため、所属組合員が自己の責任において必要資金を他より借り受け一応組合に貸し付けた上、それを自己の事業所の資金として配付を受けて使用した後、更に自己の事業所収益より返済することが必ずしも違法と謂われないことは所論のとおりである。

けれども、かかる方法は形の上では組合より資金の配付を受けたことになつているが、実質上は組合員が自己の事業所に必要な資金を自己の責任において借り受けて使用し且つ自ら返済することと何等変りはない。しかも組合自体が終始資金を有しないで、所属の多数組合員が常にかかる方法を繰り返して自己の事業所を運営するにおいては、多数の組合員が各自独立して必要とする営業資金を自由に借り受け自己の事業所を運営するが如き事態を招来するものである。

原判決挙示の証拠によれば本件共栄企業組合はまさにかかる様相を呈していたことが認められる。そしてかくの如きは直ちに各組合員が各事業所毎に個人事業を営むものとは謂い得ないにしても、少くともかかる事実を推測し得る一資料たるを失わない。そしてまた、苟も完全に企業合同をした企業組合である限り、各事業所の収益につき組合において統一経理を実施し、売上高の多い事業所の収益の一部を少い事業所に回転して各事業所間における資金の過不足を相補なつてこそ初めて企業合同の実を挙げ、相互扶助の精神に立脚して組合員全員の経済的地位の向上発展を期し得る所以と謂わねばならない。各事業所より生ずる営業収益の配分が組合の自由に属するからといつて、各事業所の収益をすべて当該事業所にのみ還元し各事業所間における資金の有無相通を遮断してこれを各別に孤立せしめるが如きは、相互扶助を基調とする企業組合の本旨に悖ること甚しいものにして到底容認し難いところである。そもそも共栄企業組合が実質的には何等企業合同を行わず各組合員に個人事業を営ましていたことは挙示の証拠によつて証明十分であつて従来縷々説明したとおりである。論旨は理由がない。

同控訴趣意九について。

所論は、八代出張所所属組合員並びに熊本、福岡支部管内の一部組合員の各資産買上証、売買代金借用証を組合事務所に保管したのは、組合員の税金滞納を理由に税務署より右書類を差し押えられる虞があつたのでこれを免れるためにしたものである。然るに原判決が右保管の事実を捉えて資産の仮装売買認定の資料に供したのは誤であると主張する。

原判決挙示の証拠殊に森高殖の検察官に対する供述調書によれば、八代出張所等において昭和二五年末組合員が持つていた資産買上証や代金の借用証を組合事務所において一括保管したのは所論のとおり税務署の差押を免れるためであつたものであると認められないことはない。けれども、それだからといつて直ちにこれ等の書類が真実を表示したものにして資産の買上、代金の借受が証書の通り実際に行われたものと即断し得ないのは勿論である。そして原判決挙示の各証拠によれば、従来縷述の通り右書類は真実を伴わない形式的書類で資産の売買を仮装するためのものであつたことが認められる。原判決が組合の右保管を以て形式的書類なることを裏書するものとしたのは措辞適切を欠く憾はあるが畢竟右書類が真実に符合しない形式的書類なることを判示したものなることが窺われ必ずしも誤とは謂われない。論旨は理由がない。

同控訴趣意一〇について。

所論は、水俣地区組合員の給料は組合の給与規定に基き同地区の事情を参酌して決定した真実の給料であるのに、原判決が同地区の給料は外部の体裁だけを考慮して決定したもので真実の給料ではないとしたのは誤であると主張する。

原判決挙示の証拠によれば、同地区組合員に対して一定の給料が定められ、帳簿や給料支払明細書等の記載においては組合員は毎月所定の給料を受けた形式になつているが、加入当初より昭和二五年九月迄の現金プール実施以前においては、組合員は各自売上金を保管して所定の積立金を組合事務所に納めその残額全部を自由に営業費並びに生活費に使用し、給料として別に支給を受けることなく給料は実質を伴わない単なる名目に堕し、又現金プール実施後においては組合員は毎月手持現金を組合事務所に持参し所定の運営費等を控除された残額全部をそのまま月給名目にて、余剰分は運転資金の名目を以て返還され、持参現金が月給名目額より少い場合は所定の月給額の小切手を受け取り現金化した後持参現金に超過する額と所定の経費を事務所に返還し、かくて依然月給とは単なる名目に過ぎなかつた事実が認められ、原判決も畢竟これと同趣旨の事実を判示したものなることが窺われ所論の如き事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意一一について。

所論は、原判決は組合員の曖昧な供述と日報を基礎とし、しかも経費や売上、仕入等については相手方を調査しないで算出した大蔵事務官の算定に基いて組合員の所得額を推定したもので、甚しい誤算を犯していると主張する。

けれども、原判決は各種証拠を彼此綜合して各組合員の所得額を算定しており、挙示の証拠によれば原判決の右認定に所論の如き誤は存しない。

原判決が各組合員の所得額算定の基礎とした大蔵事務官の各証言はその算定の丹念なるとはたまた算定の方法、根拠、資料の点より観察し、更に他の各種証拠と比較対照すればいずれもこれを措信するに十分にして、その計算の結果は採用に値するものである。そしてまた、原判決挙示の証拠によれば組合員本人が検察官の取調に同調しこれと馴れ合つて所得額を陳述した形跡はなく、又右陳述が曖昧なる記憶によるものとも認め難く、更に前記各証人が借入先のない借入金の返済や利息の支払を経費に計上した事実は存しない。尤も右各証言によれば借入金の返済や利息の支払については本人の陳述のみに基いて計算し借入先の調査をしない分もないではないが、それは帳簿の記載や諸般の状況よりして本人の陳述が信用できたためである。のみならず、元来これ等を経費に計上することは本人延いては被告人等の利益に帰するものである。そしてまた、事業税は苟も賦課決定があれば未納の分も経費に計上するのが相当であり本人の利益でもある。けれども、さればといつて賦課決定のない事業税を経費に計上した如き事実は記録上存しない。又前記大蔵事務官の各証言によれば売上、仕入についても取引先を調査しない分がないではないが、それは帳簿に記載があり又本人の陳述のみで十分と認められたためなることが認められる。記録を精査しても組合員の所得計算をした各大蔵事務官の計算方法が誤であるという所論の事実は到底認め難く、又原判決に採証の誤、事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意結論について。

所論は、原判決は事実を誤認し憲法に違反して虚構の事実を認定していると主張する。

けれども記録を精査し各種証拠を仔細に検討すれば、原判決に事実誤認、憲法違反は存しない。論旨は理由がない。

同弁護人の第三控訴趣意冒頭1、2について。

所論は、被告人等が共栄企業組合創立前より脱税の犯意を有していたものと認むべき証拠はないのに、原判決がこれを肯定したのは被告人等が共産党員であるという思想的、階級的偏見に基くものであると主張する。

けれども、原判決挙示の証拠によれば被告人等が原判示のとおり中小企業者をして所得税を逋脱せしめる意図を以て企業組合の実体を備えない仮装の共栄企業組合を設立し運営した事実を優に認め得べく、記録を精査するも原審が所論の如き思想的、階級的偏見を抱いて審理判断した形跡は絶えて認められない。論旨は理由がない。なお詳細については弁護人諌山博の弁論要旨第一及び第三、一に対する説明により諒解すべきである。

同控訴趣意中企業組合理論に関する論旨1乃至19について。

所論は要するに、企業組合は組合自体の利潤を獲得することを目的とした営利法人ではなく、組合員の社会的、経済的地位の向上を図ることを目的としたものにして、利潤の追求は右目的に対する附随的の機能である。組合員は組合に加入することによつて事業主体としての人格を喪失するものではなく、又組合の一従業員となり給与所得者となるものではないと主張する。

なるほど、企業組合は組合員の社会的、経済的地位の向上を図ることを最高の目的とし組合の営む利潤の追求はそれ自体を究極の目的とするものではなく、畢竟右最高目的に奉仕する手段たる性質のものなることは所論のとおりである。けれども、企業組合は利潤を獲得するため商業、工業等典型的な営利事業を自ら営む企業主体として対外的には純然たる経済人として活動し、只組合内部における本来的機能としてその利潤を組合員の経済的地位の向上に資するものであるから、これを一種の営利法人と観るのが相当である。又企業組合は右の如く各種営利事業を自ら営む法人にして、組合員はその資本と人格、労働力を渾然融和し組合に没入して企業合同を遂げたものであるから、事業主体たる地位を喪失して組合の従業員となり給与取得者となるものと謂わねばならない。原判決に所論の如き誤はない。論旨は理由がない。なお詳細については弁護人青柳盛雄の控訴趣意第二点に対する説明により諒解すべきである。

又所論は、企業組合の所得に対する税率が他の協同組合のそれと異り四二パーセントの高率となつているのは、それが事業所得であるためではなく単なる租税収入の政策に過ぎないと主張する。

なるほど、法人税法第一七条において企業組合の所得に対する税率を、同じく中小企業者の経済的地位の向上を目的とした他の各種協同組合の所得に対する税率三五パーセントよりも高率の四二パーセントにしているのは、租税収入の便宜と組合事業の外観に目を蔽われ企業組合の究極の目的を看過したものという非難は免れ得ない憾がある。けれども、企業組合が一個の企業体として営利事業を営む営利法人である限り、一般の営利法人と同じくその所得を事業所得として取り扱つても必ずしも不当とは謂い難く、その税率が四二パーセントの高率である所以も亦茲にあるものと解するのが相当である。原判決に所論の如き誤は存しない。論旨は理由がない。

更に所論は、中小企業等協同組合法第八一条は企業組合が組合員に分配する所得の前払に相当する生活保障費にして、員外従業員と同一基準による場合に限り給与所得又は退職所得と定めたものであるから、創設規定であると主張する。

なるほど、企業組合が他の協同組合と同じく一個の助成団体であり、従つて企業組合の組合員は組合よりの被助成者としてなお独立の事業主体たる地位を保有し、組合から受ける支給金も自己が取得すべき事業所得の一部を組合より立て替え前払を受けるものとする見解がないではない。そしてかかる観点に立つときは、その所得を給与所得とする同法第八一条を創設的規定と解すべきは所論の通りである。けれども、かかる見解に左袒し得ないのは既に弁護人青柳盛雄の控訴趣意第二点に対する判断において説明したとおりである。そして企業組合は一個の企業体であり、組合員は独立の事業主体たる地位を喪失し組合の従業員として組合事業に従事する者であるから、それが組合員の相互扶助を基調とする人的結合体であるにしても、組合事業に従事したことにより一般給与基準に基いて受ける所得は労務の提供に対する報酬にしてこれを所得税法第九条第一項第五号所定の給与所得と目すべきは当然であり、従つて前記第八一条の規定はこれを確認的規定と解するのが相当である。原判決に所論の如き誤は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意中実質課税の原則に関する論旨(1乃至6)について。

所論は、企業組合は中小企業等協同組合法所定の事業活動を行つてこそ法人として価値を有し法人格附与の必要もあるわけである。従つて企業組合が事業を行わず組合員が個人事業を営んでおれば右価値も必要もないから、当然監督官庁においてこれを解散せしむべきである。又企業組合自らが何等事業を行わない場合は法律的には存在しないことを意味する。然るに原判決が事業所得が企業組合に帰属することを否定し組合員個人に帰属するものとして組合員に課税することは企業組合が法人であることと矛盾しないし、又その法人格を否認する必要もないと判示したのは謬論であると主張する。企業組合は中小企業等協同組合法第七八条所定の事業を行うものであり、そのためにこそ法人格を附与せられたものなることは所論のとおりである。従つて、企業組合が企業体として事業を行わず組合員個人が事業を行う場合には、同法第一〇六条に基き行政官庁は同法の目的を達成するために必要な限度において組合に対し期間を定めて必要な措置を採るべき旨を命ずることができ、更に同法第一一〇条に則り法務大臣の解散請求があつて組合が不法の目的を以て設立された等の事由が存し、裁判所において公益を維持するため企業組合の存立を許すべからざるものと認むるときは企業組合の解散を命じ得るものである。そして、本件共栄企業組合の如く営業用資産の引継も企業合同もすべて仮装であり、組合は何等事業を行わないで実質的には組合員が各別に個人事業を営んでいる仮装の企業組合は中小企業等協同組合法所定の実質を全く欠如するものであるからたとえ登記を経て法人格を取得し形式上存在する如き外観を呈していても、その設立は当然無効であるとする見解も成立し得るわけである。そして、かかる観点に立つときは、何人も何等の手続を要しないで当然その法人格を否認し得るものと謂わねばならない。けれども、本件共栄企業組合の如く極めて尨大な組織を有し、しかもその設立手続においてはたまたま運営においてその外形を巧に偽装し適式の企業組合の如き形態を仮装した場合、これが実体を解明することは容易の業ではないから、一歩譲つて中小企業等協同組合法第三二条商法第四二八条に従い設立無効の判決あるまで法人格を有するものとして取り扱うことも亦一理あるところである。そして、実質課税の原則なるものは租税法における負担公平と徴税確保の必要より単に所得の帰属を形式的法律関係によらずして、その実質に従つて決定しこれに基いて課税するにとどまり、それ以上に出て私法法律関係に根本的変更を加えるものでないことは勿論であるから、共栄企業組合が自ら事業を行わず組合員個人が事業を行い収益を取得するものとして課税しても、何等企業組合が本来附与せられている法人格を一般的に抹殺する結果を齎らすものではない。これと同趣旨の原判決に所論の如き誤は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意中国税庁、企業庁の指導に関する論旨について。

所論は、弁護人清源敏孝の第二控訴趣意三と同旨であるからこれに対する説明によつて諒解すべきである。そして論旨引用の原審証人疋田豊の証言は原判決挙示の各証拠と対比すればたやすく措信し難い。論旨は理由がない。

同控訴趣意中各論に対する論旨について。

所論は、企業組合においては組合員が経済力、労働力を組合に統合し組合員として組合事業に専念することにより自己の経済的地位の向上を図るものにして、組合事業による所得の一次的帰属者である組合と事業に協同し所得の二次的帰属者である組合員とは利害を共通にするものであつて、一般の営利法人と本質的に異るものであると主張する。

本論旨は企業組合が一般の営利法人と本質的に異るものであると主張する点を除いてはまことに所論のとおりにして、企業組合が一種の営利法人に属することは縷述のとおりである。原判決に所論の如き誤はない。論旨は理由がない。

同控訴趣意中供述調書の信憑性について及び証言の若干曖昧についてという論旨について。

所論は、検察官は組合員の取調に当り被疑者として逮捕勾留し、或は逮捕すると言つておびやかし又は逮捕を恐れて不安動揺に陥ているのを利用し、剰え強制、脅迫、欺罔、誘導の方法を以て組合員に自白を迫り、更に陳述しないことを勝手に記載して供述調書を作成したのみならず、組合員は報復課税と資産取戻を怖れ故ら事実を曲げて組合に不利な供述をしたものであるから、組合員の検察官に対する自白の供述調書は任意性、信用性を欠くものなるに拘らず、これを採つて資産譲渡、企業合同の仮装を認定した原判決は憲法第三八条に違反し事実を誤認したものであると主張する。

よつて記録を精査するに、検察官が本件捜査において一部組合員を所得税法違反又は横領の被疑者として逮捕勾留して取り調べたこと及び組合員の中には逮捕を怖れ心理的動揺に陥つていた者があることは所論のとおり認められる。けれども、それだからといつて直ちにその自白が任意性、信用性を欠き又はこれに疑あるものとなすべき道理は存しない。又記録を精査するも検察官が組合員の取調に際し所論の如く故ら逮捕を以ておびやかし或は強制、脅迫、欺罔、誘導を用いて自白を迫り、剰え陳述しないことを勝手に記載して供述調書を作成した事実或は組合員が所論の如き怖を抱いて故ら被告人等に不利益な供述をした形跡は全く認められない。そして記録を精査し各種証拠を仔細に検討すれば、多数の組合員の検察官に対する資産譲渡、企業合同の仮装性その他に関する自白の各供述調書の任意性、信用性を疑うべき事情は存しない。原判決挙示の証拠中所論に副う部分は他の証拠に対比してたやすく措信し難く、そして原判決挙示の証拠によれば共栄企業組合が企業組合としての実体を有しない仮装の組合であることを優に認め得べく、原判決に所論の如き憲法違反、採証の誤、事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。なお詳細については弁護人諌山博の弁論要旨第一、一三(イ)についての信憑力の説明は任意性と共通するから、これによつて諒解すべきである。

同控訴趣意中資産譲渡に関して及び結論の論旨について。

所論は、組合と組合員との間における資産の売買代金が脱退当時まで決済されない事実を以て右売買が仮装行為であるとするのは誤認も甚だしく、原判決がかかる誤を犯したのは全く予断に基くものであると主張する。

なるほど、資産の売買代金が長期に亘つて決済されない一事を以て直ちに該売買が仮装行為であると謂い得ないことは所論のとおりである。けれども、原判決挙示の証拠によれば本件共栄企業組合においては三〇〇〇名に達する組合員全部につき加入当時の資産売買の代金を組織的、計画的に二年、三年後の脱退に至るまで全然支払わず、否当初より結局代金を支払わない代りに脱退の際買受資産をそのまま売戻の形式を以て組合員に返還することを双方間において約束していた事実が認められるから、かくの如きは右売買の仮装性を肯認し得る極めて有力な資料というべく、これに原判決挙示の各種証拠を参酌すれば右売買が真実を伴わない仮装行為なることを優に認め得べく、原判決に所論の如き予断に基く事実誤認は存しない。論旨は理由がない。なお詳細は弁護人諌山博の弁論要旨第一、一二についての説明により諒解すべきである。

同控訴趣意中判決80頁第二点として被告人森原春一の本組合内容についての説明に関する論旨について。

所論は、末田精、藤井春雄の検察官に対する各供述調書は強制、誘導により作成された虚偽の自白であるのに拘らず、これによつて被告人森原が共栄企業組合は仮装のものである趣旨の説明をした事実を認定したのは違法であると主張する。

けれども記録を精査すれば、右各供述調書が強制、誘導に基いて作成された虚偽の自白を内容とするものとは認め難く、その他右各供述調書の任意性、信用性を疑うべき事情は存しない。論旨摘示の各証言中所論に副う部分は原審の採用しないところである。そして原判決が証人末田精は検事調書を是認していると判示しており、そして同証人が概ね事実を告認していることは所論のとおりである。

けれども、右判示は同証人が検事調書は読み聞かせられたが自分が述べた通り記載されている、検事の取調に際し故ら嘘は言つていない旨証言している点を指称したものであることが窺われ、従つて右判示は同人の検察官に対する供述調書が措信できる事情を説明したものにして、記録を精査すれば右判新は相当である。原判決に所論の如き違法はない。論旨は理由がない。同控訴趣意中その他の支部出張所における説明会及び資産の処理に関する論旨について。

所論は、原審における多数の証人は共栄企業組合が実体を備えた適式の企業組合として設立され運営されて脱税の意図に出たものではないと縷々証言し、しかもこれ等の証人は直接組合運営の衝に当つた重要証人にしてその証言は措信すべきものであるのに、原審がこれをすべて排斥して強制、誘導によつて作成された検察官の多数の供述調書及び信憑力に乏しい佐藤勝の証言を採用して原判示事実を認定したのは違法であると主張する。

けれども、記録を精査すれば原審が所論の各証言を排斥して所論の検察官作成の供述調書や証言の任意性、信用性を肯定した上これを採用して原判示事実を認定したのは相当である。論旨は理由がない。又所論は、原判決が棚卸資産の認定に際し、資産売買代金の未払、脱退の際における売渡資産の買戻、組合員による資産の管理及び資産並びに債権債務譲渡の未払代金差額の抛棄が違法か否の判断をしていないのは誤であると主張する。

なるほど、所論の如き各行為が偶々或は個別的になされた場合直ちにこれを違法、不当と謂われないことは勿論であり、原判決も亦同趣旨なることが窺われる。けれども、資産管理の点を除いた所論の各所為が関連的、計画的、全体的になされた場合、資産の売買が真実行われたものでないことを肯定する有力な資料となることも亦否み難いところである。そして原判決も亦かかる見解の下に各種証拠を綜合し所論の各所為が関連的、計画的、全体的になされたことを有力な根拠として、共栄企業組合と組合員との間における資産売買が仮装行為であると断定したものであり、原判決に所論の如き誤は存しない。論旨は理由がない。

同控訴趣意中一、現金プールに関する論旨について。

所論は、九原則が通達として出されたのは昭和二五年一〇月二四日であり、国税庁において初めてその案を検討したのは同年八月末頃である。然るに共栄企業組合においては既にその以前に属する同月一九日附を以て同問題討議の回章を出しており、これは同年七月二五日の第一三回理事会において決定されたものであるから、組合が採用した現金プールなるものは国税庁の九原則に対処するためではなくして組合が独自の立場において行つたものであると主張する。

なるほど、原判決挙示の証拠によればいわゆる九原則は昭和二五年八月末全国直税部長会議においてその案が検討され、同年一〇月二四日附を以て全国国税局長宛正式に通達されたものであること及び共栄企業組合においては行橋地区協議会の回章として同年八月一九日附「地区協議会開催のお知らせ」と題する書面中に「議案一、各事業場残高を一応支部に吸い上げ後更に各事業場にプールする件、これは明二〇日午後七時より小倉の事務所において役員会開催討議する」との記載があつて、当時現金プールの件を取り上げていることはいずれも所論のとおり認められる。けれども、原判決挙示の証拠によれば右現金プールの件は所論の如く七月二五日の第一三回理事会において決定されたものとは認められない。そして原判決挙示の証拠によれば、国税庁においては早くより実質を備えない仮装の企業組合に対しては組合員個人を事業者として課税する方法につき考慮を巡らし、九原則なる案も昭和二五年八月末開催された全国直税部長会議において検討される相当以前より研究され、しかもこれは秘密扱とされていなかつた関係上、遅くとも同月上中旬頃には共栄企業組合の役職員がこれを察知し、国税庁より組合員に個人課税されることを虞れて逸早く現金プールの方法を検討するに至つたことが窺われる。論旨は理由がない。

同控訴趣意中二現金の管理、流通、還元について1、2の論旨について。

所論は、現金管理を事業所で行わせ、事業所間において資金の交流をなさず、借入金を事業所の信用で行わせ、給与の前渡、分割払仮払をなし、仕入、支払を各事業所で行わせ、本部運営費等を割り当て、支払残額をそのまま運転資金とすることは、いずれも企業組合の本質に反するものではなく適法であると主張する。

けれども、企業組合は組合員全員の経済的地位の向上を図ることを目的とし相互扶助の精神を基調とした人的結合体にして、各組合員は資産と労力を組合に没入して企業合同を遂げた上、組合の従業員として所定の給与を受けるものでなければならない。従つて組合は事業主体として各事業所の収益をその多寡に拘らずすべて組合に統合し、各組合員に対しては所定の給料を支払い更に各事業所に運転資金を配分して事業を営ませ、組合員全員が相倚り相助けて経済的地位の向上を図つてこそ企業組合の本旨に適う所以である。各事業所収益を組合に統合せず組合員間に資金の交流も行われずして、各組合員が事業によつて挙げた収益をその多寡の如何に拘らず給料、運転資金等の名目を以て全額自ら取得して他の組合員を顧みず、自らの責任において資金を借り入れ、仕入をなすが如きは、それがたとえ組合の名義を以て行われ又組合名義の帳簿に記載されたとしても、実質的には組合員が各自個人事業を行うものと謂わねばならない。論旨は理由がない。

又所論は、畢竟原審証人横山好雄は「月末残金より運営費を差し引いた残額が給料額より少い時は給料額だけ貰わない。そのようなとき月給額だけの小切手をもらい不足分を現金化して直ちに組合に返した」と証言しているが、日報その他の帳簿の記載によれば昭和二六年度における横山好雄の毎月の売上高より同人の月給一万円を支払い得ない月はないから、同人の右証言は措信し得ないものであるのに拘らず、原審がこれを以て組合員の月給が有名無実であると認定する証拠にしたのは違法であると主張する。

原判決挙示の証拠によれば原審の各組合員についての収支計算には誤ないことが認められる。そして挙示の各証拠を綜合し横山好雄に関する昭和二六年度各月の収支を検討すれば、原判示のとおり八月の売上高は僅か八九九〇円にして月給額一万円に達しないことが認められる。該事実を考慮に入れ更に原審証人横山好雄の「現金プールの時月給という名目の金額より少い手許現金残高を組合に持つて行つたことは一回か二回かある」という証言を参酌すれば、現金プール開始以後同人が月給名目額より少い手許現金残高を組合に持参したことのある事実が優に認められるから、所論の証言部分はこれを措信するに十分であり、原審がこれを以て判示事実を認定したのは相当である。論旨は理由がない。

更に所論は、原判決は強制された供述調書を計算の基礎とし各組合員の所得の算定を誤つている。組合の所得は逐年増加しているから、毎月所定の月給額を支払い得ない組合員は存しないと主張する。

しかし、組合員の検察官に対する供述調書が強制によつて作成されたものと認め得ないことは縷述のとおりである。そして原判決挙示の各証拠を検討すれば原判決の各組合員についての収支計算に誤あるとは認められない。尤も各組合員の所得額が昭和二五年度よりも昭和二六年度において一般的に増加していることは所論のとおり認められる。けれども、挙示の各種証拠によれば、組合員中昭和二五年、同二六年における或月の売上高が所定の月給額に達しない者或は売上高より仕入費、必要経費を控訴した残額が所定の月給額に達しない者が多数存在することが認められ、しかも組合は各組合員の収益より所定の経費等を徴収した残額をすべて当該組合員に還元し、月給額に充たない売上の組合員に対して別に組合資金換言すれば売上の多い他の組合員の収益の一部を以て補填することをしないから、組合員全員の収益総額が増加しても必ずしも所定の月給額の支払を受け得ない組合員がなくなるものと謂われない。論旨は理由がない。

同控訴趣意中企業組合の基本的性格に関する論旨について。

所論は、畢竟企業組合においては組合員は組合加入によつて事業主体としての人格を喪失するが、それは第二のより大なる事業主体を作るからである。又企業組合が株式会社と異るのは企業合同を行つた組合員の社会的、経済的地位の向上を目的とするからである。企業組合の特質は自己を組合員として事業を組合事業として統合させることであり、それは事業のなくなる姿ではなく、更に発展した姿として組合員として組合事業として存在することである。企業組合における資産の売買もそれ自体が目的でなく組合員の生活保障と固く結びついているものである。然るに原判決が企業組合の右の如き性格を理解し得ずしてこれを曲解し、中小企業等協同組合法に背いて企業組合を弾圧した税務当局、検察当局に加担して罪なき被告人等五名を有罪としたのは階級的、思想的偏見によるものであると主張する。

企業組合の性格に関する右所論は概ね首肯するに足るものにして、右所論も畢竟原判決とおおよそ同旨の見解なることが窺われる。尤も所論が企業組合は営利法人ではないとする趣旨を包含するものとすれば、この点は原判決と異ること勿論である。そして原判決の企業組合の性格に関する判断が正当であることは既に弁護人青柳盛雄の控訴趣意第二点に対する説明において縷述したとおりである。原判決挙示の証拠によれば原判示事実は優に認められ、記録を精査しても原審が所論の如き偏見を以て本件を審理判決した形跡は存しない。論旨は理由がない。

被告人五名連名の控訴趣意冒頭の控訴の要点及び1並びに2(イ)乃至(ホ)(ト)について。

所論は、要するに企業組合は営利法人ではなく、又中小企業等協同組合法第八一条は確認的規定ではないと主張する。

けれども、企業組合は一種の営利法人であり同法第八一条は確認的規定であると解するのが相当であることは縷述のとおりである。論旨は理由がない。詳細については弁護人青柳盛雄の控訴趣意第二点に対する説明及び弁護人清源敏孝の第三控訴趣意企業組合理論に関する1乃至19論旨に対する説明により諒解すべきである。

又所論は、検察官作成の各供述調書は強制、脅迫、誘導、偽造によるものにして任意性、信用性を欠くものなるに拘らず、原審がこれを証拠として被告人森原等の説明会及び講演会における話の内容が仮装組合の設立にあつたものとし、又被告人等の犯意、組合の性格についてはこれを認むべき証拠がないのに被告人等を有罪と断定したのは階級的、思想的偏見に基くもので憲法第一四条、第七六条に違反すると主張する。

けれども、検察官作成の供述調書が所論の如き事情により任意性、信用性を欠くものでないこと、原判決挙示の証拠によれば原判示事実を優に認め得ること及び原審が階級的、思想的偏見を抱いて審理判決した形跡の存しないことは縷述の通りにして、記録を詳査しても原審の措置が憲法第一四条第七六条に違反するものとは認められない。論旨は理由がない。

更に所論は、被告人等が当時の課税当局の不当課税に対する適正化の要請に税闘争の表現を用いたことを以て暴力であるとした原判決は、表現の自由及び請願権を奪うものであると主張する。

けれども、原判決はこれを 細に熟読すれば、当時の課税当局の中小企業者に対する徴税方法に妥当を欠くものがあつたとしているがこれに対する被告人等の適正化の要請に税闘争の表現を用いたからといつて合法的な方法までも直ちに違法とする趣旨ではなく、被告人等が使用した税闘争はその一環として原判示の如き仮装の共栄企業組合を設立、運営する等の不正行為を以て所得税を逋脱したものであつたからこそこれを違法としたものなることが窺われる。原判決に所論の如き違法はない。論旨は理由がない。

同控訴趣意2(へ)について。

所論は、企業組合における従事分量配当は配当所得ではなく事業所得であると主張する。

けれども、中小企業等協同組合法第八二条第二項の企業組合の剰余金の中、年一割を超えない範囲内において払込済出資額に応じて配当した剰余金にして組合の事業に従事した程度に応じて組合員になすべき配当は、組合の利益金処分として賞与的性質を有し配当所得と解するのが相当である。このことは法人税法第九条第六項において企業組合については事業の分量に対して組合員に分配すべき金額を組合所得の計算上損金として算入しないことに徴しても窺われるところである。尤も、従事分量配当は本来組合員の所有に属する金銭の返還に過ぎないもので事業所得と目すべきものにして、該配当分については組合に課税すべきものではないとする論者もないではないが、かかる見解には左袒し難い。論旨は理由がない。

同控訴趣意2(チ)について。

所論は、企業組合が中小企業等協同組合法に基き法人格を有し活動している限りその所得は組合の所得として課税すべきものなるに拘らず、法人の存在を無視し個人の所得として課税するのは法人の有する納税の義務と権利を奪うもので憲法第三〇条に違反すると主張する。

けれども、憲法第三〇条は政府において吾国が従来義務に関する思想を強調し過ぎたのでポツダム宣言の精神に従い権利の思想を理解させることが妥当であるとしてこれを原案に掲げなかつたところ、議会において憲法第三章が権利を説くに急にして義務を規定するに寛大過ぎるとしてこれを挿入した経緯と、同条の体裁及び納税の本質に照せば、納税は国民の義務として規定されたものにして権利と解すべきものではない。従つて義務を課せられないことを捉えて違法というのは自己に不利益な主張にして控訴理由としては不適法である。のみならず、企業組合が中小企業等協同組合法所定の実質を備え営業主体として活動している限りその所得は法人たる組合の所得として課税すべきものであるが、企業組合が実体を備えない仮装のものにしてその所得も実質上は組合に帰属しないですべて組合員個人に帰属している場合、実質課税の原則に従い組合員個人に課税することが税法の適正な運用と謂うべきであるから、この場合企業組合自体に課税しないことはまさしく憲法第三〇条に適う所以である。論旨は理由がない。

その他の所論は弁護人清源敏孝の第三控訴趣意中実質課税の原則に関する1乃至6と同旨であるから、これに対する説明によつて諒解すべきである。

同控訴趣意2(ヌ)について。

所論は、昭和二八年八月七日法律第一七三号所得税法の一部を改正する法律によつて設けられた所得税法第三条の二、第四六条の三に関する国会の附帯決議に基く課税連絡懇談会は有名無実であつたのに拘らず、原判決が右附帯決議の趣旨は十分実行されたものと認定したのは誤であると主張する。

なるほど、右法律改正に当つて国会が第四六条の三の運用につきいわゆる課税連絡懇談会に諮問するよう附帯決議をしておるのに拘らず、記録によれば国税庁が該懇談会に諮問した事例は極めて僅少なることが窺われる。けれども、原判決が所論の如く右決議の趣旨は十分実行されたと認定した形跡は存しない。のみならず、元来同改正法並びに右附帯決議は本件以後のことに属し本件犯行当時の課税に適用なく、本件には関係ないものである。論旨は理由がない。

同控訴趣意2(ル)について。

所論は、関係官庁の企業組合に対する指導援助とは資金、資材、課税等に関する対策を謂い、この点において共栄企業組合は全く放置されていたと主張する。

なるほど、企業組合に対する援助が資金、資材、課税等について特別の便宜を与えることを指称し、企業組合に対し一般にかかる便宜が与えられることは極めて望ましいことではある。そして又共栄企業組合に対してかかる便宜が与えられなかつたことは所論のとおりである。けれども、法律に根拠がない限り右援助がなされなかつたからといつて毫も違法、不当とは謂われない。論旨は理由がない。

又所論は、企業組合に対しては指導が行われなかつたと主張する。けれども、企業組合に対する関係官庁の指導が当時相当程度に行われたことは縷述の通りにして、詳細は弁護人清源敏孝の第二控訴趣意三に対する説明により諒解すべきである。論旨は理由がない。

同控訴趣意2(オ)について。

所論は要するに、原判決は階級的、思想的偏見に基づくものであると主張するが、記録を精査してもかかる事実は認め難く、そして原判決挙示の証拠によれば原判示事実は優に認められる。論旨は理由がない。

同控訴趣意(2) (イ)について。

所論は、企業組合は営利法人ではないと主張するが、これを一種の営利法人と解すべきことは縷述のとおりである。論旨は理由がない。

同控訴趣意(2) (ロ)について。

所論は、原審は階級的偏見を以てすべての証言を故ら曲解し、強いて被告人等を有罪と断定したものであると主張する。

けれども、記録を精査し各種証拠を仔細に検討すれば、原審の措置に所論の如き階級的偏見や証拠の曲解を窺わしめる事情は存しない。

そして原判決挙示の証拠によれば原判示事実は優に認められる。論旨は理由がない。

同控訴趣意(2) (ハ)について。

所論は、共栄企業組合が買上証と借用証を交付し代金を後日支払うことにして各組合員の資産を買い上げ且つ組合員の脱退に際し右資産を売り戻し、しかも売戻の可能性を予見していたとしてもこれを以て資産の売買が仮装行為であるとは謂われないと主張する。

なるほど、企業組合の組合員が組合脱退に際し、さきに組合に売り渡し且つ組合員として自己が管理を続けて来た事業所資産の買戻を希望し、組合がこれに応ずることは企業組合の本旨に悖るものではなく、又これを予見するのが非難すべきものでないこと、更に企業組合が資産の買上に際し現金を支払わないで買上証と借用証を交付して後日支払うこととすることが違法でないのは所論の通りにして、かかる事実を以て直ちに資産の売買が仮装行為であると断じ得ないのは勿論である。けれども、右各行為が組合員につき関連的、計画的、全体的に行われた場合は著しく趣を異にし、売買の仮装性を窺わしめる資料となることは否み難いところである。そして原判決挙示の証拠によれば、共栄企業組合においては組合員の資産を買い上げる際、脱退のときはすべてそのまま売戻の形式を以て返還することを約して組合員の資産を代金を支払わないで買い上げた形式を採り、脱退に際しては約束通りに売戻の形式を以てそのまま組合員に資産を返還して買上代金と売戻代金をすべて相殺により決済したものとして取り扱い、しかもかかる行為がすべて関連的、計画的全体的になされた事実が認められ、該事実に原判決挙示の証拠を綜合すれば、資産の売買は仮装行為であると謂わねばならない。論旨は理由がない。なお詳細は弁護人諌山博の弁論要旨第一、一二についての説明により諒解すべきである。

又所論は、原審が証拠に採用した組合員の検察官に対する自白の各供述調書は強制、脅迫、誘導によつて作成されたと主張するが、かかる事実が認められないことは縷述のとおりである。論旨は理由がない。

同控訴趣意(2) (ニ)(ホ)について。

所論は、原審は政治的弾圧意図と階級的、思想的偏見を以て憲法法律を歪曲し、合法的な共栄企業組合を脱税目的の仮装組合と断定したものであると主張する。

けれども記録を精査しても原審が所論の如き意図と偏見を以て本件を審理判決した形跡は認め難く、そして原判決挙示の証拠によれば原判示事実は優に認められる。原判決に所論の如き憲法違反、採証の誤、事実誤認は存しない。論旨は理由がない。その他の所論は弁護人清源敏孝の第二控訴趣意六及び同弁護人の第三控訴趣意中供述調書の信憑性について及び証言の若干曖昧についての論旨と同旨であるから、これに対する説明によつて諒解すべきである。

被告人渡辺実信の控訴趣意一、二について。

所論は、被告人は当時脱税の意図を以て共栄企業組合に加入し、又これを運営したものではないと主張するが、同被告人に脱税の意図があつたことは縷述のとおりにして、詳細は弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第一点、第三点及び弁護人諌山博の弁論要旨第三、一に対する説明により諒解すべきである。論旨は理由がない。

又所論は、中小企業等協同組合法第八一条は創設的規定であると主張するが、同条を確認的規定と解するのを相当とすることは縷述のとおりにして、詳細は弁護人清源敏孝の第三控訴趣意中企業組合の理論に関する論旨中の同条に関する説明により諒解すべきである。論旨は理由がない。

更に所論は、実質課税の原則について明文が存しなかつた当時の共栄企業組合に対しては右原則を適用して納税義務を決すべきものでなく、登記によつて成立した法人として法人税を課すべきものであると主張する。

けれども、実質課税の原則は吾国税法に内在する指導理念として従来是認されて来た条理であつて、所得税法第三条の二が右原則の確認的規定であると解すべきは弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第二点において詳細説明したとおりであるから、原審が右原則に従い共栄企業組合は実体を備えない仮装の企業組合にして実質的には組合員各自が個人事業を営んでいたものと断じ各組合員に個人事業所得税を納入すべき義務があるとしたのは相当である。論旨は理由がない。

弁護人辻丸勇次、同諌山博連名の控訴趣意第七点及び弁護人清源敏孝の控訴趣意第四点並びに被告人渡辺実信の控訴趣意三、四、五、六(以上いずれも量刑不当の論旨)について。

被告人等は中小企業等協同組合法所定の実体を備えない仮装の共栄企業組合を結成し運営して、多数の組合員の所得税を逋脱せしめたものにして、その地域は福岡、熊本、宮崎、佐賀、大分、山口の各県及び東京都の広きに亘り、事業所総数は二四〇〇を超え組合員総数も三〇〇〇名の多数に達し、かかる尨大な組織によつて租税の逋脱を図り国家の租税体系を混乱に陥れた責任は決して軽視し得ないものなることは多言を要しない。けれども、被告人等がかかる行為に出でた所以のものは、畢竟当時大資本の重圧と課税当局の徴税に喘いでいた中小企業者の生活を護りその経済的地位の向上を図るに在つたことがその一因をなしており、被告人等自らの私利私欲を図る意図はなかつたことが窺われる。特に留意すべきは、中小企業等協同組合法によつて初めて認められた企業組合は新設の制度であつた関係上、その性格、運営について法律上並びに事実上の各種問題が伏在しており、剰え企業組合の設立運営に関する関係官庁の指導も当時万全を期したものとは謂われないふしがあり、加うるに、いわゆる実質課税の原則についても異論なきを保し難い実情である。

以上の如き各種の事情が競合して被告人等を本件犯行に導いたものと謂うべきところ、一方当時課税当局の中小企業者に対する徴税態度や徴税技術に妥当を欠くものがあつて、これが亦共栄企業組合拡大の素因をなすに至つたものである。しかも、共栄企業組合は既に解散して、被告人等組合幹部の指導と尽力により大多数の組合員につき税務官庁との間に本件脱税に関する事後処理の折衝が実を結び多くの組合員が所定額の納税を了し又は現に分割納税中である。以上の事実が本件記録によつて認められ、これ等の事実とその他諸般の事情を考察すれば、原判決が被告人馬場卯三郎を除くその余の被告人四名に対し懲役刑について執行猶予を附しなかつたのは量刑重きに過ぎ不当と認められるから、右四名については原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。けれども、被告人馬場卯三郎については原審の科刑は相当であり論旨は理由がない。

そこで刑事訴訟法第三九六条に則り被告人馬場K三郎の控訴を棄却し、その余の被告人四名については同法第三九七条第一項に則り原判決中有罪部分を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に判決する。原審の確定した事実に法律を適用すれば、原判示第一、(一)、第二、(一)の各所為は昭和二五年三月三一日法律第七一号により改正された所得税法(その後の改正によつて効力を有する行為時法)第六九条第一項(昭和二五年一二月二〇日法律第二八二号所得税法臨時特例法の適用を含む)刑法第六〇条第六五条第一項に、原判示第一、(二)、第二、(二)の各所為は昭和二六年三月三〇日法律第六三号によつて改正された所得税法(その後の改正によつて効力を有する行為時法)第六九条第一項(昭和二六年一一月三〇日法律第二七三号所得税法の臨時特例に関する法律の適用を含む)刑法第六〇条第六五条第一項に各該当するからいずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条を適用して法定の加重をした刑期範囲内において、被告人森原春一を懲役一年に、被告人上野盛雄、同木下仙友、同渡辺実信を各懲役八月に処し、被告人木下仙友に対し同法第二一条により原審における未決勾留日数中三〇日を右本刑に算入し、量刑不当の論旨について説明した如き犯情により同法第二五条を適用して右被告人四名に対しいずれも本裁判確定の日より三年間右各刑の執行を猶予し、なお刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条に従い原審における訴訟費用は国選弁護人辻丸勇次、同諌山博に支給した分及び証人西村正信、同市原為四郎、同渡辺忠雄に支給した分を除きその三分の一を右被告人四名と馬場卯三郎の連帯負担とし、当審における訴訟費用は被告人五名の連帯負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 中村荘十郎 裁判官 生田謙二)

弁護人辻九勇次、同諌山博の控訴趣意

第二点原判決が所得税法第三条の二は創設的に設けられたものでないと判示し(判決第一冊の四二頁)、右と同趣旨の考え方を同条制定以前たる本件に適用したのは(判決第一冊の四〇頁ないし四二頁)、憲法第三九条の法律不遡及の原則及び同第三一条の罪刑法定主義の原則に違反し、かつ、所得税法第一条、第二条、第三条、同条の二の解釈適用を誤つたものである。原判決は「実質所得者に対する課税の原則」なるものが、本件以前から所得税法や法人税法に潜在していた法理であるとしている(判決第一冊の四一頁)。だが原判決も認めているように、そのような明文は、本事件当時までは存在していなかつた。それが法律にはじめて現われたのは、昭和二十八年八月七日に所得税法第三条の二が制定されてからのことである。今まで存在していなかつた実質課税の原則を、所得税法第三条の二の制定以前の事件に適用した原判決は、憲法第三十一条の罪刑法定主義、同三十九条の法律不遡及の原則に違反しており、かつ、所得税法第一条、同第二条、同第三条、同第三条の二の解釈を誤つたもので、この誤りは判決に影響を及ぼしているので、原判決は破棄さるべきである。

第五点原判決が、所得税法第六九条第一項違反の犯罪を、「犯人の身分により構成すべき犯罪行為」とし、法令の適用において所得税法第六九条第一項、刑法第六〇条、同第六一条を引用したのは、刑法第六五条第一項の身分の解釈適用を誤つたものである。身分の意味については、最判昭和二十七年九月十九日判決(刑集六巻一〇八三頁)に詳細に説明されているが、納税義務者が詐欺その他不正の行為によつて所得税を免れるような場合は、右の身分犯の概念には含まれない。したがつてこれに刑法第六五条第一項を適用するのは誤りである。右に反する見解を示した原判決は、所得税法第六九条第一項、刑法第六五条第一項の解釈適用を誤つたもので、原判決は破棄さるべきである。

第六点原判決が所得税逋脱の方法として問題にしているのは、組合員が虚偽の所得税確定申告書を提出し、または確定申告書提出期限内に確定申告書を各所轄税務署に提出しなかつたということである。原判決は虚偽の申告を詐欺の行為による所得税逋脱とし、無申告を不正の行為による所得税逋脱としている。だが、虚偽申告または無申告は、直ちに所得税法第六九条第一項の犯罪を成立させるものではない。真実の所得を表明しない虚偽申告に対しては、所得税法上更正の手続が定められ、無申告については決定の方法が規定されている(所得税法第四六条)。さらに、それらに対する再審査、再審査請求という別の方法もある。また、正当な事由がない無申告は、所得税法第六九条の四によつて独立した犯罪とされている。してみると、所得税法は元来虚偽申告は止むを得ないものとして予想し、その予想にもとづいてその救済措置を規定しているものというべく、正当の事由によらない無申告は、不正の手段による所得税逋脱とは別個独立の犯罪類型をなすものとしているとみるべきである。したがつて、虚偽申告及び無申告を所得税法第六九条第一項違反とした原判決は、同条の解釈適用を誤つたものであつて、この誤りは原判決に重大な影響を及ぼしているので、原判決は破棄さるべきである。

弁護人青柳盛雄の控訴趣意

第二点原判決は、企業組合に関するその見解と実質課税の原則とを結び合わせて、企業組合の現実の在り方に独自の一つの型を想定し、大蔵省の九原則を無条件的に承認した上で、本件共栄企業組合はその型に当てはまらないという結論を下し、だから反税組合であり、脱法手段であると断じている。しかしながら、これは明白な法律解釈の誤りであると共に、事実の誤認でもある。企業組合が公益法人でないことは所論の通りである。しかし、だからといつて原審がいうように、企業組合は、資本の結合体である会社と同じような営利法人であるとはいえない。それは会社と違つて人的要素の濃い合作社的性質の事業体(人的結合体)である。だから、一面において営利を目的とする法人たる性格を失つてはいないが、純然たる資本の結合としての会社と同じ性質の営利法人では絶対にない。原判決は、このことをそれとなく認めているにかかわらず、その重大な事実を忘れたようないい方で「営利法人」という点だけを強調して、人的結合の特殊性を無視する態度に豹変し、企業組合員は組合の「従業員」以上でもなければ以下でもないと、観念論的に「割切」つて、すべての組合員の組合内において果すべき役割のニユアンスを無視している。なるほど、組合員は所得の面では組合の「従業員」以外の何ものでもないが、その労働の面では従来の個人事業者としての経験を活用し、時誼に適した自由な活動をする任務をもつている。これがなかつたら、そもそも企業組合という制度は成り立たないのである。原判決は、企業組合が企業組合として存立する基礎であるこのような重要な契機を悪く捉えて、組合員がこのような任務に基いて行動しているのは、とりもなおさず事業の損益負担を組合員の個人的責任に留保しているものであると盲断しているのである。いかに、その見解の浅はかであり、偏見に満ちているかは、多言を要しない。共栄企業組合は、企業組合の現実の形態が社会の複雑な様相(それこそが弁証法であり真理である。観念論は客観的真実をみることができない。)を現わしていることを実証するように、原審が頭の中で映像を画いたような企業組合とは、当然にちがつたものとなつている。これは何も不思議でもなければ、不合理でもないし、法律の定めたものに適合していないということではない。原判決は、共栄企業組合の「資産譲渡の実態」がどうの、「現金管理、流通、還元の実態」がどうのと、全くあきあきするほど無意味な計数などを書き並べて、判決文の九九パーセントを占拠させ、「鬼面人をおどろかす」たぐいのぼう大な紙の浪費をやつているが、一体資産譲渡や現金の管理などの実態が、原審認定のとおりだとしても、それがどうしたというのであろうか。企業組合の実体(本質)が複雑性を帯びている以上それは当然のことではないのか、原審が幻のように描いている企業組合の型とそれがちがつているからといつて、共栄企業組合が企業組合の実体を備えていないと断ずる根拠は絶対にないのである。そもそも、企業組合というものは中小企業者が独占資本の横暴な収奪とその政府の苛れんちう求から、その基本的人権を守るための制度として法定された結合体である。だから、そのような役割を演ずるものであるかぎり、すべて法定の企業組合であつて、それ以外の何ものでもないのである。共栄企業組合に加入した個人事業者だつた組合員の個々人が、個人事業者の時代に「自家労賃」の控除を無視され、その身を喰うような不当課税の苦しみから解放されたことは厳然たる事実である。そのことは不合理な税制(個人業者と法人との課税制度上の不公平は、法律の条文を検討するまでもなく、公知の常識である。)をよりどころとして独占資本の政府が勤労人民を苦しめようとする立場からみれば、苦がにがしいことかも知れない。しかし、独占資本の政府も、勤労人民の要求に押されて社会立法の範疇に入る「中小企業等協同組合法」を制定せざるを得なくなつて、これを制定した以上、それを忠実に守るのが法治国家の建前でなければならない。共栄企業組合を非合法化した原審こそまさに法秩序をみだしたものと断ぜざるを得ない。けだし、共栄企業組合は、その組織形態は複雑であつても、独立の法人格を有していたことは厳然たる事実であつて、組合員の独自の事業経営を認めていた事実は絶無であるからである。原審は前述のように、資産譲渡或いは現金管理等の実態から、組合員の個人事業的経営が承認されていたと推認するという態度をとつているが、このような認識の方法論はあまりにも形式的であり、概念論であつて、もしこのような方法論が採用されるとするならば、わが国の中小企業としての会社組織までが、すべて「脱税会社」とされるのは一目瞭然である。そうなると、憲法で保障している団結の自由は資本主義的な組織形態についてまで、根本的にじうりんされる結果となり、いかに不合理であるかは、多言をまたないであろう。この点においてもまた原審判断は違法である。

第三点原判決表示の所得税法第六九条第一項は、「詐偽その他不正の行為により」「所得税を免れ」た者を罰している。従つて逋脱の意思があつても「詐偽その他不正の行為」をしないで「所得税を免れ」た者は罰せられないし、「詐偽その他不正の行為」をしたが結果的には「所得税を免れ」られなかつた者も罰せられない。主観主義刑法理論からいうと不合理かも知れないが、資本主義社会では、こうしておかないと、すべて国民が皆な逋脱罪になつてしまう。けだし、特に日本では、大独占資本家からルンペンに至るまで税金「真平御免」の気持で、自分だけは何んとかして免れようと苦心しており、そのための努力をしているからである。たゞ、そのなかで労働者や真面目な農民、中小企業者などは「真当う」な手段で、「税制の改正」「公正な課税」の要求実現に努力しているというちがいはある。本件で原審は、被告人らが共栄企業組合を作つて、本件逋脱をしたといわれている組合員を加入させ、それらの人たちが加入後の「事業所得」を書かなかつたのは「詐偽」だといい、確定申告をしなかつたことは「不正の行為」だといつて、被告人らに有罪を言渡しているが、共栄企業組合を作つたことも、問題とされている組合員を加入させたことも、それらの人たちが確定申告書に加入後の「事業所得」を書かなかつたこと或は加入後に確定申告をしなかつたことも、すべて何ら「詐偽」でないことは、明白で、この点は原審が予断偏見によつて事実誤認をしていることは他の論旨に記載したとおりであるが、それはそれとして、問題とされている人々が確定申告をしなかつたという事実だけを捉えて「不正の行為」だというのは、法律解釈を誤つたものである。逋脱の意思をもつて確定申告をしないものは、わが国では無数であつて、だからこそ税務官吏は更正決定に日夜忙殺されている現情であり、所得税法第六九条の四で摘発される例は殆んど絶無に近い。何故か。積極的に「不正の行為」がなされておらず、たゞ消極的に申告しないという作為義務違反になる可能性があるからであるしかもこの義務違反の前提は「正当な事由がないこと」であるから、その認定をすることは実際問題として甚しく困難である。そこで、「不正の行為」という概念は、抽象的には、作為、不作為をふくむと解せられるが、「詐偽その他不正の行為により……所得を免れ」た者が罰せられると定めた規定の明文から解釈すると、ここにいう「不正の行為」とは単なる不作為的なるものはふくまれず、少くとも税務官吏を錯誤に陥れ、よつて再正決定などの措置に出ることなく、けつきよく「所得税を免れ」るという効果をおさめ得ると客観的に解せられる性質のもの、従つて積極的な作為がなければならないと解釈するのが相当である。これを本件についてみるに、原判決は、確定申告をしなかつたといわれている人々が果してどのような積極的な「不正な行為」をしたというのか、これを明らかにしていない。(証拠説明でも具体的に明示していない。)けだし、そのような具体的な事実がないからである。原判決は、共栄企業組合を作つたとか、加入したとかいう事実が「詐偽」的行為だから、そのような事実を理由に申告しない以上、「不正な行為」になるのだという解釈をとつているのかも知れないが、これは前述のとおりそれ自体何ら積極的に税務官吏を錯誤に陥入れたことにならないことを見落したものといわなければならない。けだし、税務官吏は問題とされた人々が果して共栄企業組合に加入したかどうかということは知らないのであり、無申告ならば更正決定をする自由をもつていたはずだからである。次に、原判決は「所得税を免れ」たという点についても、事実誤認のほかに、法律の解釈を誤つている。すでに述べたところからも明らかなように、逋脱罪は現実に所得税を免れたことによつて成立するのであるが、この「免れた」というのは、税務官吏の方でそのつくすべき職務義務を懈怠することなく(すなわち正当な事由によつて、換言すれば納税者側の積極的な手段のために過失なくして錯誤に陥るようなばあいでなしに)更正決定が出されなかつたことによつて、課税されなかつたことを意味するのである。しかるに、原判決は、このように見易き道理を見落して、当該税務官吏の側に前記職務義務懈怠があつたかなかつたかの重要点を究明することなく、漫然と「所得税を免れた」と解釈しているのであつて、その解釈の誤りは判決の結果に影響を及ぼすことは多言を要しないところである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例